お公家様

 ワロタ。某市でのこと、首長が幹部職員がずらりと並んだ前でこう言い放ったとさ。

「きみたちは公家のようだな」

 そう言われたと、部長が笑って部下に話した。話を聞いた部下によれば、部長はまんざらでもない風情だったという。おそらく「公家=貴族」とでも思ったか。

 これで喜んでいては、モノを知らぬ者と言われても仕方あるまい。この場合の「公家」は「武家」の対語として言っている。

 例えば、自民党宏池会が「公家集団」と言われているが、「政策通は多いが武闘派が少なく、権力争いには滅法弱い役立たず」というような揶揄も含んでいる。

 某市の有り様を見ると、市長や副市長に物申す武闘派があからさまに左遷され、あるいは退職して一線から引いてしまった。このために小利口な役人は口が寒くなることを警戒して、イエスマンにならざるを得ない。

 実はトップが部下に対して「おまえら公家集団か!」と言ってしまうのは、部下の育成がなっていないというテメエのバカを晒していることになるのだが、そこはそれ、バカは気が付かないんだね。たまたま会議でそう感じたから口走ってしまった。オマエの使いようが悪いから、部下が「公家集団」になってしまっているなんて現実はまったく見えない。こうなるとまさに「裸の王様」状態に陥る。

 平安時代摂関政治が極まって、まさに公家集団が日本を牛耳っていた。日本人の強さは、台湾の元総統の李登輝さんが頻りに言われる「武士道」によるところが大きいのだが、残念ながら平安期に「武士道」が成立していない。というか「武士」そのものが歴史に登場していないのである。だから、平安京で政務を司り、公事を裁き、夜になると女のケツを追いかけていた公家たちは、まぁ「武士道」からは遠い存在だった。どの公卿を見ても、毅然とか潔さなどとは程遠い印象を拭いきれない。怨霊を恐れ、死を忌避し、乱を嫌った。

 でもね、酒の席で喧嘩なんかはよくしたみたいですぞ。まぁ口喧嘩に毛の生えたくらいのもので「戸に石を投げつけた」とか「菓子を足で蹴散らした」くらいのもので、いかにも公家の上品な喧嘩ですわなぁ(笑)。

「公家のようだ」と言われた集団は、まず恥よ。そして下級貴族が「武士」に変容していったように、「武闘派」としての力量を培え。「武闘派」といっても、「いつでもどこでも争え」と言っているのではない。「武闘派」というと「〇〇組の武闘派」なんていう連想にもあるから、「武士道派」と言い換えよう。心を鍛錬し、知識を蓄え、腹をくくる度胸を造る。

 そして、アホな上司がマヌケな命令をしてきたときに、断固として異議を唱える。そして聞き入れられなければ、潔く左遷される。しかし、倍返しのための刃はつねに研ぎ続けておくのだ。

 ワシャは「お公家様のようですね」と言われるより「この、田舎侍め」と言われる方がうれしい。