歴史を読むと怖い現在

 先週は災難だった。それでも週末には熱も下がって、自宅でごそごそしていた。外に出る体力もなかったし、コロナ、インフルではないとはいえ、高熱の出た風邪である。人に移してもいけないのでね(とはいえ飲みに出たりしましたが)。

 だから時間があったので、次の読書会の課題図書を読むことした。

半藤一利『幕末史』(新潮社)

である。単行本で470ページほど。栄養を採っていなかったんで頭が回らず、読了するのに1日半ほどかかってしまった。

 

 内容については、読書会で話をしてからにしたいが、ただ、読んでいて妙な既視感に何度か捉われた。

 後段の章である。明治2年2月、明治新政府が曲がりなりにも出来上がり、政府を構成する太政官がようやくそろい踏みをする。しかし、しっかりとした国家観を持っている教養人たちは、あらかたが幕末の風雲の中に命を落としている。半藤氏の言を借りれば《「田舎出」と言っては悪いのですが、薩摩や長州や土佐出身のどちらかといえば下級武士》だったから、政策を熟慮するという思考訓練がそもそもできていない。それこそ、伊藤博文にしろ山縣有朋にしろ、己の郷村の外にイメージを膨らませるなんてことはやったことがなかった。

 そして太政官にはもう一種類の連中が存在した。公家である。ここも半藤氏に言ってもらおう。

《「左様、しからば、ごもっとも」の政治すらやったことのない連中だらけ、加えてどこまで能力があるのかわからない公家さんたちが、よってたかってがたがたやってもろくな政治ができるわけがありません。》

 ということなのである。

 この明治初期の政治の大混乱の様子を読んで、思ったのがまさに今の「岸田政権」であった。

 岸田派というのが、政界でも超有名な「お公家集団」と言われている宏池会で、自民党内でももっとも左傾リベラルゆえに、発足当時、左巻きマスコミが一切叩かなかったことからも、その立ち位置が知れよう。

 明治初年の太政官、令和5年の岸田政権、同じような臭いがプンプンとする。それでもね、太政官には大久保利通という内務卿がいたし、木戸孝允という外務行政官がいた。

 今の、岸田政権というか、自民党政権、対外的な危機ということで言えば、明治初頭の比ではない。いくら黒船が日本近海を走り回ろうとも、欧米列強からすれば遠国である。近いところにある清は根太が腐りきっていて脅威にならない。朝鮮半島など、未だに平安時代の時期を彷徨(さまよ)っている。

 しかし、岸田公家集団が対面している時代はどうか?日本と歩調を合わせてくれる諸国は遠国であり、近いところにある不良国家群は核配備をして、虎視眈々と日本を狙っている。

 そこに大久保も木戸もいないんですよ。にも関わらず、その国を治めているのが、民主党のバイデン政権よりも左寄りの宏池会。ワシャはあまりの恐怖に顔面が引きつってしまいますぞ。

『幕末史』のp420にこんなエピソードが紹介されてある。征韓論の議論を賛成派(西郷)と反対派(大久保)のメンバーが喧々諤々の議論を展開しているのだが、賛成派の太政大臣三条実美が議論に耐えられなくなって「閉会」を宣言してしまう。ここから半藤氏の文章。

《三条が這うようにして出て行った後、西郷さんが「どうにも困ったもんだ、あんなにだらしない男だとは思わなかった」と嘆くと、同じく賛成派の江藤新平が、「西郷さん、比丘尼にマラ出せといっても無理だ」と言ったそうです。ちゃんと記録に残っています。西郷さんは大笑いをして、三条はだめだ、使い物にならんとあきらめました。》

 三条太政大臣、今で言えば、総理大臣ですね(笑)。

 

 そのあたりも含めて、『幕末史』の議論を展開したいと思っている。