いざ鎌倉

《力士が土俵下に背中から落下…館内騒然 土俵際の逆転劇に拍手喝采も》

https://news.yahoo.co.jp/articles/bc5bd450460133e2c8b18b937e0cb385ad9189a1

《前頭八枚目・翔猿(追手風)が首捻りで小結・高安(田子ノ浦)を下して9勝目を挙げた一番で、翔猿が背中から土俵下に激しく落下。26日の十三日目では東三段目65枚目の響龍が頭部から土俵に落下して頭を強打。》

 ワシャは翔猿-高安戦しか観ていないけれど、迫力のある一番だった。こういった手に汗握る勝負があるので、テレビ桟敷の前に座り込んでしまう。ただ、力士たちはつねに大怪我のリスクをもって闘っているわけで、その一所懸命な姿が観客の心を打つ。

 ところがつまらぬ取り組みもあった。朝乃山-照ノ富士の取組だ。3敗同士が優勝戦線に残るための大関、関脇の一戦である。

 立ち合いから照ノ富士優勢で、結局、朝乃山が寄り切られるわけだが、朝乃山の足が先に土俵を割って、さらに照ノ富士自体も土俵の外に踏み出しているにも関わらず、そこからさらに朝乃山のまわしを摑んでいる左腕を突き出して、土俵の外に朝乃山を押し出した。

 朝乃山の足が出た段階で、照ノ富士は勝っている。己も土俵から出ているのだから、勝負がついたことは照ノ富士も自覚しているはずだ。しかし、ダメ押しをしてしまう。この行為が極めて卑しい。

 力勝負の大相撲である。勝負に熱くならなければ勝つことは覚束くまい。でもね、歴代の名力士は、相手が土俵を割ったことを悟ると、すっと力を抜いて、相手が土俵から落ちないように、体やまわしに手をかけて支えるのである。勝負がつけば敵ではない。大相撲を支える仲間なのだ。だが、照ノ富士の昨日のダメ押しは「勝負に呑まれた狂牛」と同じで、闘争心が止められないのである。同様なことはダメ横綱白鵬にも言えることで、冒頭の記事のように、土俵から落ちることは極めて危険なことで、相手に止めを刺すまでは闘争心を制御できないという姿は、狂った牛を見ているのと同じで不愉快なだけである。

 照ノ富士がどれほど苦労をして大関に戻ったのかはよく知っている。それはそれで大変なことであったろう。だけど、せっかくの苦労を善きものにするために、「強いだけでは名力士にはなれない」という現実を知らなければなるまい。

 朝乃山を寄り切った瞬間に、力を抜いて腰を落として朝乃山を支えてやる、それができて初めて歴史に残る力士になる。もう少し日本を勉強しろよ。

 

南シナ海に中国漁船220隻 フィリピン外相が抗議》

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM220BF0S1A320C2000000/

 今は180隻くらいになっているらしいが、それでもフィリピン沖に支那の大型漁船が大量に現われて一種の示威行動をしているわけだ。フィリピンとしても心配ですわな。

 大型漁船が横に連結されて何列にも並んでいる写真が公開されているのだが、フィリピン政府から抗議を受けた支那プロパガンダ報道官が「風や波が強く連結して船の安全を確保している」というようなことを言っているが、写真の海面はとても穏やかで、波が立っていないということは風もないということ。それに風や波浪が強い時には、逆に船を連結させると危険だということぐらい海を仕事としている輩はみんな知っている。支那プ~報道官は嘘を吐いている。

 このニュースを聴いて、ある歴史的事件を思い出しましたぞ。

元寇」である。弘安の役の折に、朝鮮半島から襲来した東路軍と、支那本土からやってきた江南軍が平戸島で合流した。そこを鎌倉幕府軍は命懸けの、まさに一所懸命の斬り込みをかける。この襲撃に恐れをなした元軍は、船同士を鎖でつないで連結し砦のようにした。

 この景色がワシャの脳裏によみがえったのである。支那共産党、まさに現代の元なのである。そして大陸系の思考は、勝つだけでは終わらない。相手に止めを刺す、そこまでやらなければ収まらないということを知ることが大切だ。

 鎌倉期、運のいいことに日本は武家政権が統治していた。元寇の際に、現実主義者である武士が力を持っていて本当に日本は救われた。これが平安貴族の世が続いていてごらんなさいよ。怨霊が恐くて死刑制度も廃止していたオーストリッチシンドロームの公家貴族が元と対峙すれば、あっさりと降伏していたでしょうね(嘲笑)。

 ともかくも鎌倉武士は犠牲を出しながらも元を追い払った。公家貴族は何をしていたのかと言えばひたすら神仏にお願いしていたのである。それはいい。神仏に祈祷することも脇にあってもいいだろう。しかし、壹岐対馬の女の手に穴を空けて船べりに数珠つなぎにした元のような凶悪な暴力・・・こりゃ高麗軍の仕業かもね・・・にはやはり力で対抗する必要があるのだ。

 鎌倉武士は戦った。京都の公家は祈った。さて、どちらのおかげで日本は守られたのでしょう?

 公家たちは性質が悪かった。鎌倉武士の戦勝を、己が手柄にするために「神風」を言いふらしたのである。これがなんと700年後の日本に祟りをなす。先の大戦での「神風神話」につながっている。

 とにかく現場で戦ったことのない理想主義者、公家官僚どもには国家は守れないということである。

 

 今日、大関貴景勝照ノ富士が優勝を懸けた楽日決戦を迎える。ワシャは何国人が優勝しても構わない。ブラジル人の碧山も優勝の可能性が残っている。彼が優勝してもいい。ただ、やはり土俵際で止めを刺す照ノ富士を応援する気にはなれませんぞ。鎌倉武士だった700年前の記憶が甦るのかもしませんね(笑)。