もの思わざるは仏の稽古なり

 見出しは江戸時代の僧の至道無難禅師の言葉である。この人の孫弟子が白隠禅師というから、なかなかの人物だったに違いない。

 坐禅という修行がある。ワシャもたまに組むんだけれど、坐禅の際の「無念無想」が、そう簡単には実践できない。すぐに脳裏に何かを思い出し、さらにその考えを発展させてしまう。臨済宗中興の祖といわれる白隠ですら「坐禅を組んだら、隣の婆さんに貸した味噌のことばかり思い出してかなわんかった」と言っていたくらいだからね。ワシャのような凡夫が、そうそう「もの思わざる」なんていう仏の心境にはたどり着けるもんじゃない。

「思うて詮なきことは思わず」

 とは、やはり禅宗天龍寺派関牧翁老師の言葉。思ってもどうしようもないことは思わない……まさに仰るとおりなのだが、衆生は仕方のないことをもんもんと思い悩むのである。

 高僧たちは口をそろえて言う。

「念を捨てろ、思い出すな、忘れてしまえ」

 と、言われてもねェ。ワシャは記憶力が悪いくせに、つまらないことはウジウジと覚えていて反芻すること甚だしい。

 

「風、疎竹に来たる。風、過ぎて竹は声を留めず。雁、寒潭を渡る。雁、去って潭に影を留めず。ゆえに君子は事来たりて心始めて現われ、事去りて心したがって空なり

菜根譚』の八二項にある言葉である。このように生きられればどれほど楽なことか。