あきらかにおかしい

 新元号の「令和」が発表されて8日が経過し、ある程度のフィーバーは収束したようですね。それにしても7割以上の国民が「令和」を歓迎し喜んでいることが、日本文化を愛するものとしてうれしい限り。やはり日本人は素敵だ。

 でもね、中にはケチをつける輩もいる。経済学者でしたっけ、金子勝という人、こんなことを言っている。

《【政「令」の元号】新元号は「令和」で、アベが説明する「儀式」も初めて。出典は「国書」の万葉集で日本古来の伝統を強調し、自らの政策を正当化。これで数々の不正腐敗と政策的失敗は免罪されません。歴史修正主義者のアベの命「令」や指「令」や禁「令」で「和」を強制する、でないことを祈ります。》

 この人、ずいぶん以前に愛知県碧南市に来て、「来年、日本経済は沈没する」と言っていたが、それから何年経っても、日本経済はしっかりしたままである。このオッサン、何を根拠に田舎の商工会のメンバーを脅かしていたのだろう。あの時以来、この人の言うことを信用できなくなった。

 そしてこのケチのつけようである。「命令、指令、禁令」、そりゃそういった使い方もありますわなぁ。でも、それはある一面だけのことで、「令愛、令嬢」(他人の娘に対する敬称)、「令顔」(美しい顔)、「令軌」(よく整った制度・法律)、「令器」(よい器)、「令才」(抜群の才能)……なんて書き出したらきりがないくらいいい意味であふれている。あえて、命令系の言葉ばかりならべて印象操作しなくてもいいのにね。

 

 芥川賞をとるつもりだった兵頭正俊という人が何を言っているのか分からない。全文を引く。

《新元号は令和。第一印象は響きの冷たさだ。万葉集の歌意など関係はない。むしろ古今でも新古今でもなかったことに意味がある。先の戦争で、若者たちがもっとも戦場にもって行った歌集。そこに意味がある。命令に従い、国のために和して死んでほしい。日本会議靖国など喜んでいるだろう。》

 芥川賞をとるつもりだった割には下手な文章だが、この際それは措いておく。個々に見てみよう。

《新元号は令和。第一印象は響きの冷たさだ。》

「冷房」とか「冷蔵庫」の「冷」と同じ「レイ」だからかなぁ(笑)。

万葉集の歌意など関係はない。むしろ古今でも新古今でもなかったことに意味がある。》

 どういうこと?『万葉集』から採用したことがいけないのかにゃ?『古今和歌集』『新古今和歌集』からならよかったということ?「意味がある」の意味がわからない。

《先の戦争で、若者たちがもっとも戦場にもって行った歌集。そこに意味がある。》

 へええ、そうなんだ。兵隊さんたちは「万葉集」を戦場に持っていっていたんだ。司馬遼太郎さんも『歎異抄』(岩波文庫)を持っていかれたそうだから『万葉集』を持参した兵隊さんもいたことだろう。でも、『歎異抄』と違って『万葉集』は大部だから、この人の言うとおりだとするなら、持っていくのにずいぶん骨が折れたことだろう。そしてこう続ける。

 戦場に持っていったのが『万葉集』だから《命令に従い、国のために和して死んでほしい。日本会議靖国など喜んでいるだろう。》と言っている。『万葉集』には4500首もの歌が収められている。それをどう読めば「命令に従い国のために和して死んでほしい」と理解できるのか?理解不能だ。

 芥川賞をとるつもりだった人は全共闘くずれの文学青年だったらしい。芥川賞をとるつもりだったということをけっこう自慢しているが、おそらく日本全国にいる文学青年たちはみんな「芥川賞」をとるつもりで小説を書いているから、そんなことを自慢されてもねぇ。

 

 なにしろ「令和」にケチをつける一部の人たちの言説が可笑しい。