死神に憑かれている……。
縁起でもねぇや。実は、小三治以来、落語の「死神」にはまっている。「憑かれている」のと「はまっている」のではずいぶん違うか(笑)。
昭和53年の小三治の「死神」。40年前の録音である。やはり小三治39歳の時だから、まだまだ声が若いねぇ。そりゃ間違いなく先だっての小三治の方がいい。
同じ年に録音された三遊亭圓楽の「死神」も聴いた。円楽45歳である。39歳の小三治よりも女房とのやりとりが上手いね。もちろん、79歳の小三治には敵わないけれども。
映像で柳家喜多八の「死神」を観た。平成19年の録画である。喜多八は小三治の二番弟子で、病弱キャラを売り物にしていた噺家だった。過去形なのは、この人、師匠より先に、平成28年に蝋燭が消えてしまった。本当に病弱だったのね。
噺は、忠実に小三治の「死神」を踏襲するもので、手堅い落語家である。小三治の弟子の中では抜きん出た存在で、ネタによっては師匠よりおもしろいと言われていた。67歳で鬼籍に入ったが、70代の喜多八、80代の喜多八の噺が聴きたかったなぁ。
ビクターからDVDが出ているので、お近くに気の利いた図書館があれば、たいがい置いてあるでしょうから、ぜひお聴きくだされ。
今回、はまった中で一番良かったのは、三代目三遊亭金馬だった。そもそも、「死神」の噺のシチュエーションが根本的に違っている。主人公は、調子のいい幇間に設定されている。これが死神に指導を受けて医者になるというところまでは一緒なのだが、ラストに自分の蝋燭を消してしまう……というところが違う。とてもさわやかなオチなのである。
たいていの「死神」は主人公の命脈が尽きて終わる。小三治も、圓楽も、喜多八も、みんなそうだ。コミックの「落語心中」でも「死神」にまつわるエピソードは暗く描かれている。それが落語のオチだから仕方がないといえば仕方がない。でもね、これが金馬の手に掛かると、強かな幇間の物語に変貌する。
これも、「NHK落語名人選」の中にあるので、ぜひ図書館で探してお聴きくだされ。