三河安城と渋谷

 昨日の夕方、新幹線三河安城駅界隈をうろうろしていた。たまたま、広い歩道を歩いている時に、60代の作業着姿の男性とすれ違った。そこから5mほど進むと、若い女性が歩道にしゃがみ込んでいる。もうあたりが薄暗くなっていたので、はっきりとは判らなかったが、なにか黒いものを拾い上げたようだ。そして立ち上がると足早に、ワシャの脇を抜けて、先ほどすれ違った男性のところまで駆けていく。脇を抜ける時に女性が手に持っているものを確認したが、使い込んだ折り畳みの分厚い革の財布だった。
 女性は先を行く男性を呼びとめた。そしてなにやら話しかけている。男性はしばらく話を聞いているようだったが、突然、何度も点頭して、黒いものを受け取ってまた歩き出した。
 日本はいい国ですね。財布を落としても戻ってくる。拾った人はハイヒールなのに走ってまで届けようとする。これがどこぞの国だったら、ぜったいに財布は持ち主のところに戻ってはこないだろう。それだけ日本人の健全性が醸成されているということで、これは世界に誇ってもいいことである。おそらく、支那や朝鮮が大日本帝国の版図の中に組み込まれたまま21世紀を迎えていれば、とても穏やかな国柄になっていたでしょうね。少なくとも落とした財布が戻ってくる平和な人々が住んでいることでしょう。

 日本人の悪いところというか、人のいいところは、世界の人びとはみんな日本人のように穏やかで、親切で、思いやりを持っていると信じて疑わないところであろう。とくに田嶋陽子氏に代表される「話せばわかるのよ教」の方々は、世界の人びとはみんないい人だと思い込んでいるから怖ろしい。もちろん、支那中国にも朝鮮半島にも中東にもアフリカにもヨーロッパにもいい人はいるし、日本にも極悪人もいる。そんなことは当たり前なのだ。
 しかし国柄として、落としたものが帰ってくる国、その確率が高い国のほうが住みやすいわけで、その点だけを取り上げても、日本は間違いなく道徳の行き届いた国民が多く住む国と言っていい。だから外国から日本に来たがるのである。

 でもね、国柄・人柄の違いは確実になって、それは人の良し悪しではなく、生まれた時からというか、生まれる前から培われた風土のようなものだからどうしようもないんだ。そういった柄の違う人たちがある一定数を超えてくると、いかに穏やかな地域でも、殺伐としてくるのは自明の理であろう。
 先週末の渋谷を知れや。
 外国人の混在割合がある一定のパーセントを超えると、軽トラックはひっくり返されるわ、店舗のウインドウは割られるわ、ネーチャンのスカートの中は盗撮されるわで、渋谷がサンパウロのようになってしまったではないか。騒いでいる中にはもちろん日本人のバカ者もいる。しかし、外国人も多い。
ワシャは保守である。だから、移民法には反対である。どれほど官僚が理由をこね回しても、ならぬものはならぬのです。渋谷を見れば、移民を大量に受け入れることは日本の国柄を激変させる危険があるということが理解できよう。
 くどいようだが、もちろん外国人にいい人もたくさんいる。理性的で知的で、素敵な人もいる。しかし、そうではない輩も多数存在する。こっち側の日本人にもそういうのいることは判っているが、しかし、その民族のもっている空気はやはり、日本と諸外国では違和があって当然だと思う。

 ワシャは百年経っても、落とした財布が返ってくる穏やかな国に住んでいたいし、子や孫にもそういう国に住んでもらいたい。
 外国人に合わせるのではなく、郷に入れば郷に従う、当たり前のことを日本に住みたい外国人には実行してもらうだけのことで、日本は2000年にわたって、営々と国を造ってきた。
日本に永住したいと考えている外国人に求めたいのは、日本語を話し、日本の歴史を認識し、日本の伝統文化を尊重する、その上で国旗・国歌を大切に思ってくれれは、肌の色が違おうが、健全な宗教であるならば何教を信じようが、日本人として受け入れるのは容易だ。
 何世代にわたって日本に住んでいながら、日本以外の国籍を手離さず、住みやすい日本国のサービスだけを享受するのは、ルール違反でしょ。