傘かしげ

江戸しぐさ」である。京都先斗町のような狭い路地で、雨の日に互いの傘を外側に傾け、相手が濡れないようにすれ違う仕草のこと。他者を慮った美しい行動である。

 最近あったことだ。ワシャが自家用車で信号交差点を左折しようとしていた。歩行者用の信号が点滅を始めた。そこに若いんだか中年なんだかよくわからないニーチャンが、歩道にのそのそと進入してきた。点滅してまっせ~。おっと赤になってしまった。しかしニーチャンは急ぐわけでもなく、ワシャの車の前をゆっくりと歩んで行かれる。

 それは違うんではないのかい?少なくともオメーが車を止めている。例えば会釈ひとつするとか、ポーズだけでも足早に歩くところを見せるとか、オメーひとりの道路じゃねえんだぞ!

 ワシャは歩行者用信号が青でも、停止して待ってくれるドライバーには会釈をして小走りに歩道を渡る。自転車でもそんな演出をする。自分の行動が他者に迷惑をかけていると思えば、会釈して通るのが当たり前ではないか。

 江戸の「傘かしげ」と同様に、令和の「歩道会釈」これを提唱したい。

 

 ワシャは外国人が日本に住むことになんの異議も唱えない。過激というかアホなネトウヨのよう連中は外国人と言うだけでヒステリー症状を示すけどね。

 例えば評論家の石平さんは支那中国の出身だし、龍谷大学の李相哲先生は満洲朝鮮族出身である。お二人とも日本国籍を取得され、日本人となられた。日本語は流暢に話されるし、なによりも日本を、日本文化を、日本の歴史を愛してくれている。こういった外国人なら大歓迎で日本に迎えたい。

 翻って、元北京放送のアナウンサーだった張景子や東海大学教授の葉千栄などである。彼らは日本で生きていながら、中国共産党を擁護し、中国共産党賛美をテレビの中で騙っている。何度、話を聞いても「これは日本のためにならない」と思えてしまう。こういった外国人はぜひ母国におかえり願いたい。

 先日、地元の市役所に行った。上階に用があってエレベーターを待っていた。「チン」となってドアが開く。中に人が乗っていた。黒人だった。身長はワシャと頭一つ違っていたから190センチはあったろう。漆黒の太い腕が剥き出しになっていて、かなりごつい。柔道、拳法の達人(笑)のワルシャワでも、ちょっと恐い。これが華奢な男や、女性だったらかなりの威圧感を受けるだろう。もちろんめちゃめちゃいいヤツかも知れない。けれど肌の色の差、とくに大きな黒人には、小柄な日本人が一歩引いてしまうのはいたしかたあるまい。それでもワシャは日本男児である。ぐいっとエレベータの中に進入した。黒人が中央から動かなかったので、壁際に張り付くようにして乗って降りたのだった。

 それに比べると、先日、名駅であったバングラデシュ人なんかは小柄で、そういった怖さは感じなかったが、大声で母国語を放つのは耳障りだ。日本人と言えども、交差点待ちで他の人が周囲にいるのに、喚き立てるのはいかがなものか。

 郷に入ったら郷にしたがえ。狭い通路は傘をかしげて行き交えということである。それが理解できない外国人は日本に来てくれなくていいし、それが解からない日本人も、どうぞ個人主義が蔓延った国や、自分の家族しか眼中にない国柄のところへ行っておくんなまし。

 

 なんでこんなことを思ったかというと、昨日、仕事帰りにいつもの本屋によって、本を何冊か買ってきたのだった。その中の1冊が、石ノ森章太郎佐武と市捕物控―江戸暮しの巻―』(ちくま文庫)である。7つの短編から構成されていて、「蛇の目」という話がおもしろかった。『佐武と市』シリーズは雨のシーンが多いのだが、この話は32ページ中4ページしか雨がやまない。28ページは雨の中のドラマである。だけどじとっとはしないんですね。しんみりとしたウエット感とでもいうんでしょうか、そんな余韻を残す名作でした。ここから「傘かしげ」が過ったんでござんす。