日本衆愚社会

 評論家で封建主義者の呉智英さんが新書を上梓された。『日本衆愚社会』(小学館新書)である。これは『週刊ポスト』に連載されているコラムなどをまとめたものだという。もちろん速攻で入手しましたがな〜。
 ワシャは『週刊ポスト』は確実に隔週で買っている。綺麗なオネーチャンのグラビアやエッチな連載マンガが目的ではなく、もちろん呉さんのコラムを読むためである。隔週で購入するのは、連載コラムが呉さんと中川淳一郎氏(ネットニュース編集者)との交互リレー連載だから。ね、ワルシャワは純粋な気持ちで『週刊ポスト』を求めているわけなのじゃ。
 さて、そんな言い訳はどうでもいい。呉さんの新刊である。題に「衆愚」を入れるところなんざ、さすがに呉先生でヤンスね。他の著作にも『愚民文明の暴走』とか『バカにつける薬』、『サルの正義』など愚かなものを揶揄する作品は多い。そこでまた『日本衆愚社会』ときたもんだからキタキタキター!と期待せざるをえませんな。だからさっそく夕べの風呂でページを開きましたぞ。
 まず「まえがき」である。当たり前だが、これは週刊誌の連載にはない。ここで呉さんは小説家の中野重治の詩について触れている。「真夜中の蝉」である。

 真夜中になって
 風も落ちたし
 みんなねてしまうし
 何時ごろやら見当もつかぬのに
 杉の木のあたりにいて
 じいっというて鳴く
 じつに馬鹿だ

 呉さんは《この世に蝉を罵倒した詩があろうとは、私は二十歳になるまで知らなかった。》とおっしゃる。ワシャはこの歳になるまで知らなかった。呉さんはこの詩を材にとって、『日本衆愚社会』全体の方向性を示している。
 この本は三部構成になっている。第一部が「ポピュリズムを超えて」、第二部が「俗論を疑え」、第三部が「凶暴なる言論」となっていて、どれもがワクワクするテーマではありませんか。
ということで、さっそく湯船に浸かって読み始めるのだった。
 ううむ、ううむ、ううむ……。
(読書中)
 読み終わって湯船から立ち上がって叫んだ。
「おもしろい!」
 目からうろこが何枚も落ちた。
 呉さんの著作はどれもおもしろいのにためになる。世間リテラシーというかメディアリテラシーが磨かれる。
 でもね、この新書に収められているものの大半は一度は雑誌で読んでいるはずのものなのだが、「補論」という新書用に書き加えられた部分があることで、まった別物になっていた。「補論」が「本論」を補強することで、さらに強力な衆愚論になっていた。そんな効果もあって既読のはずの本論もおもしろくてたまらない。
 帯に《反論上等!「右も左もかかってこい」》と書いてあるが、残念ながら、現在、呉智英にかかっていく根性のある右も左もいないだろう。
 最も危険な論客の呉智英がこの秋に3回連続講座を開催案内が地元の広報誌に載っていた。うむむ、呉さんを呼んだ担当者は根性があるのう。楽しみじゃ。