とおらんどっと

 夕べ、名古屋市民会館でオペラがあった。イタリア・バーリ歌劇場によるプッチーニの歌劇「トゥーランドット」である。板に付いているものは蒲鉾から板付空港まで好きなワシャはオペラ通の友だちと出かけたのだった。
 席は、2階席の前から3列目。舞台には少し距離があるが、オーケストラピットも俯瞰でき、悪くない席だった。まぁ22,000円の席だから悪くちゃ困るけどね(笑)。
 さて、「トゥーランドット」、この作品は未完成である。プッチーニは第3幕の途中まで構成し力尽き、ブリュッセルで亡くなっている。1924年のことである。1924年というと、第一次世界大戦が終わり、ソヴィエト連邦が成立した頃である。そのころに、イタリア人や欧州人がどれほど支那の歴史を知っていただろうか。現在でも心もとないと思うが、「支那を知らないイタリア人が東洋を見るとこうなる」というのが、舞台のいたるところに見られるのがまた楽しい。皇帝の出で立ちもおかしなところが見受けられるし、官吏や奴隷たちの格好もエジプトじゃないの?と突っ込みを入れたくなるが、まあそんな些末なことはどうでもいい。
 なにしろイタリアオペラである。トゥーランドットを演じた歌姫はマリア・グレギーナ
https://www.youtube.com/watch?v=taiCOicqYxc
 これは同じくプッチーニの「蝶々夫人」を演じた時のものだが、この時とはかなり変わってしまって、どすこい感がはんぱなかった。しかし、その声量は圧巻で、大ホールの隅々にまで広がっていく。歌につられて息をしていると呼吸困難になってしまうのだった。
 奴隷娘のリューを演じたヴァレリア・セぺはよかった。体格はやっぱりいいけれど、グレギーナほどではなかった。でも、声量はあって美しいソプラノを聴かせてもらった。この北京の紫禁城を舞台にした大スペクタクルは、冷酷な姫君のトゥーランドットの名を冠しているが、じつはトゥーランドットが主人公ではない。少なくともプッチーニが書いたシナリオの結末は奴隷娘のリューの死で終わっている。そこからもドラマがトゥーランドット中心ではなく、王子カラフの果敢な求婚、けなげなリューの献身の愛、官吏のピン、ポン、パン3人組の滑稽味など、ドラマの見所は随所にあった。そこにスパイスとして、前述したイタリア風味のエキゾチックな東洋がふりかけられ、そこに圧倒的な合唱とオーケストラの力で、壮大なオペラに作り上げられている。第3幕でカラフによって高らかに歌い上げられる「だれも眠ってはならない」は鳥肌が立った。堪能した。
 
 終わってから、市民会館の前の居酒屋で反省会。鴨の炙り焼き、栃尾揚げのシラスあえも美味だった。あ〜楽しかった。

 居酒屋を出たのが、午後22時30分くらいだった。金山駅までゆき、JRの改札を通った。電光掲示板にはJRが木曽川方面の事故で40分の遅れが生じているとのこと。おいおい。ホームに降りてみると、電車が通らんので人がどっとあふれているではないか。これは次の快速電車が入って来ても、おそらくホームの乗客全員は収容できず、またその次の電車を待たなくてはならない。15分くらい様子を見ていたが、改善する様子は見えず、ホームは帰宅のサラリーマンらでごった返している。
 金山駅のJRから名古屋鉄道のホームが見える。そちらのほうはすいすいと動いている。こういった場合は、足止めされる前に少しでも自宅に近いほうに進んでいることが防災対応としては確実である。ワシャは「名鉄にしよう」と決断した。
 ホームを移動し、名鉄の特急に飛び乗ると、その後はすいすいと進んでいった。知立駅をこえたところで時間を確認すると、金山駅にはまだ遅れた電車は到着していなかった。ワシャの判断は正しかった。
 新安城駅ついたのは、午後23時44分で、これは計算に入っている。そこからタクシーに乗れば無事に帰れたのだが、新安城みたいな田舎にはタクシーが来なかった。それも金曜日だしね(泣)。
 仕方がないので、再びホームに戻り、名鉄西尾線の最終が24時07分に出るというのでそれで先に進むことにした。新安城から北安城まで行って、下車が09分。線路に落ちそうな酔っ払いを助けて、駅を出て、南に一直線で10分歩くとJR安城駅に着く。ちょうどその時、ホームに電車が入ってきた。24時20分だった。JRの遅れが4分程に縮まっていた。おそらく金山で40分待って、JRを使ったほうが早かったに違いない。しかし、快適性はどうかというとすし詰めに慣れていないワシャは、隣のオッサンと肘の当たった当たらないとかで喧嘩していたかもしれず、余裕綽々の名鉄電車で時間は掛かったが座ってこれてホッとしているのだった。

 さて、本日の日記のタイトルである。「とおらんどっと」ではなく「トゥーランドット」ではないのか。いやいや、居酒屋を出た後の記述に「ホームに降りてみると、電車が『通らん』ので人が『どっと』あふれているではないか」と書いているでしょ。そういう意味では「通らんどっと」が正しかった。おあとがよろしいようで。