退却戦もあり

《敗戦を受け入れての16強にセルジオ越後氏「世界に恥を…」》
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180629-00785978-soccerk-socc
 セルジオ越後氏が口を極めて言っている。
「ルールで助けられたということ。そのルールを最大限利用したね。世界に対して恥をかいた。こちらが負けている状況で、別の試合に委ねるのはいかがなものか」
「負けるのを良しとした姿勢は納得がいかない。W杯という舞台で大ブーイングを受けたことは喜ばしいものではないね。今のままでは誇れる大会ではなくなるし、子どもたちにも『いい試合だった』とは言えない」
 なにを言っているのだろう、このオッサン。
 ルールに助けられようが、大ブーイングを受けようが、試合というのは勝ってなんぼの世界でっせ。ルールを最大限に利用せず、攻めたためにカウンターアタックを受けて失点していれば、日本は決勝トーナメントに進出できなかった。進むために、一時退却することも戦略としてはありだ。最終的な勝利を得るための作戦は数多あっていい。それがルールの中でのことであるなら、何を恥じようか。堂々と撤退すればいいし、負ければいい。
 セルジオ氏、古い話を引っぱってきて恐縮だが、16年前のワールドカップで、日本はトルコに1:0で敗退し、韓国はイタリアに1点リードされながらも後半戦で追いついて、延長戦で逆転勝利をおさめた。セルジオ越後は馬鹿みたいに喜んでいたがあなたはどこの国で飯を食っているのか。

《韓国アン・ジョンファン「日本は醜く16強」、志らく激怒「冗談じゃない」》
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180630-00000004-jct-ent
「韓国は美しく敗退したが、日本は醜く16強に進出した」
 と、反則ばかりを醜く繰り返した韓国人選手が負け惜しみをいっている。立川志らくさんが強烈に反撃してくれているので、あえて言わないが、まさに志らくさんの言うとおり。

 セルジオ氏も韓国人選手もまったく勝負ということを理解していない。戦い方というものは、「勝ち」をどこに置いているのかでまったく変わるものだということを、この2人は知らないのである。勝負師でもなければ戦略家でもない。単なる口汚い評論家と乱暴なフィールドプレーヤーということなのだろう。

 永禄13年、織田信長が越前遠征を開始する。北陸の宿敵である朝倉氏を攻めるため先頭に立って軍を動かし、越前金ケ崎まで進出した。背後にいる北近江の浅井長政には妹の市を嫁がせて懐柔してある。あとは朝倉を攻め滅ぼすだけであった。
 しかし、その浅井が裏切った。長年の誼(よしみ)を優先したわけだ。前に朝倉、背後に浅井、信長は絶体絶命の危機に陥った。朝倉攻めは練りに練った一戦である。前後に敵を向かえても、戦おうと思えば戦えた。しかし、信長は戦わなかった。尻を絡げると、前線から京都目指して逃げる逃げる。そして逃げ切った。
 この一戦、信長の大敗北だった。だが信長はこの一戦だけを見て、天下布武という大プロジェクトを進めているのではない。ここで少しばかり停滞を余儀なくされても、次の手で勝てばいいのだ。
 その4年後の正月の様子が『信長公記』にこう書いてある。
《古今に承り及ばざる珍奇の御肴出て候て、又、御酒あり。去る年北国にて討ちとらせられ候 一、朝倉左京太夫義景首。一、浅井下野、首。一、浅井備前、首。已三ツ、薄濃にして、公卿に据え置き、御肴に出だされ候て、御酒宴。》