高田屋嘉兵衛

 木曜日のNHKのBSプレミアム「英雄たちの選択」で高田屋嘉兵衛が取り上げられていた。
 高田屋嘉兵衛、『コンサイス日本人名事典』に拠れば《江戸後期の海運業者。淡路国津名郡志本村。貧家に育ったが、1792(寛政4)兵庫に出て回漕業にたずさわって家運をおこした。》という人。ここまでは普通のオーナー船頭のようなことで、特筆するものはなにもない。努力を重ねて、幕府御用船頭に登用され、蝦夷地への航路開拓、択捉島周辺の漁場開拓にも成功し、苗字帯刀まで許されるところまで出世した。ようやく嘉兵衛の人生が花開こうとしていた。ところが、その直後、国後島沖合を航行中に、極東進出を虎視眈々と狙っていたロシアの軍艦に拿捕されてカムチャッカに連行されてしまう。その後の虜囚生活で、ロシヤ語をマスターし、当時、政治的な問題を起こしていた日本とロシヤの間に入って、その両国の融和に尽力したことで後世に名を残した。そして嘉兵衛の偉いところは、もっと別なところにある。嘉兵衛と同郷の儒者岡田鴨里がこう書き残している。
《財ヲ軽ンジテ人の急難ニ赴キ、家族旧故ノ貧困ナル者ハ之ヲ賑救ス》
 まさに「公」の人であった。この破天荒な海運商人の人生は、司馬遼太郎の『菜の花の沖』で楽しんでほしい。

「英雄たちの選択」では、脳科学者の中野信子氏が高田屋嘉兵衛肖像画
http://takadayakahei.com/takadayakahei/2012/09/post-2.html
を見て、「目が笑っていない。なにを考えているのか……」というようなことを言っていた。発言は詳細まで記憶していないが、あまり好意的な言い方ではなく「強かな」という意味が多かったような気がした。
 司馬さんも中野氏と同じ肖像画を見ている。その評価はまったく違っている。司馬さんは、晩年、嘉兵衛がの藩主の蜂須賀治昭から召し出され、ロシヤの話などをさせた場面などを描写している。ちょっと長いけど許してね。
《「ロシアには、男女が口を吸うということがございます」
 と、キスについて語り、自分がカムチャツカを出るとき、一婦人が別れを惜しみ、この口を吸いましたわい、というと、藩主は大笑いして、
「どのような心地したぞ」
 としつこくきいたという。日本の殿様には、あるいは座興にこの程度のはなしをしておこうと思ったのか、それともゆったりとした諧謔家だったのか、よくわからない。
 岡田鴨里は嘉兵衛の風貌について、「短小ナレドモ眼光人ヲ射」というが、肖像画で見るかぎり、顔が大きく、いかにも豁達そうな大ぶりの笑いじわがあって、口もとがなにか冗談でもいっているように綻びている。初対面の殿様に、キスをされた話でもしそうな顔つきである。》

 ここからは余談である。
 司馬さんの長編『菜の花の沖』の冒頭は嘉兵衛の青春時代が描かれている。そこに淡路の若衆組の話が出てくる。この若衆組が若き嘉兵衛と対立するのだが、その若衆組の閉鎖的な性格を説明するのに他の土地の例をいくつか挙げていた。その中に「尾張国碧海郡安城町」の例もあって、これはワシャの地元なので「へぇこんなことまで司馬さんは調べていたんだ」と嬉しくなった。
 でもね、碧海郡は「尾張国」ではなく「三河国」なんだけど……。