三次元

 女優の高峰秀子が名エッセイストだったことは有名で、ワシャも十数冊彼女のエッセイ集を持っている。その中の一冊『おいしい人間』(潮出版社)に「人間たらし」という文章がある。「人たらし」「人間たらし」と来たら、豊臣秀吉司馬遼太郎が浮かばなければいけませんぞ。ということで、この章は司馬遼太郎との出会いのことが書かれていて、司馬さんがいかに人間たらしであったかということが微笑ましく描写してある。ご両所の間に深い交流が培われたのも、双方ともが他者に対するいたわりの心を持ち、双方ともが達人であったからであろう。

 この「人間たらし」の次の章が「「アンノー」という人」と題されている。これも司馬通ならピンとくるんですね。「アンノー」は画家の安野光雅さんのことで、この章は安野さんが司馬さんの『街道をゆく』の挿絵を担当することになった話から始まる。
《当代ピカ一、私の敬愛する両先生が、ひとつの仕事を一緒に作り上げる……。しがない一ファンの私にとって、こんなに楽しいことはないけれど、いや待てよ、である。》
 ここから高峰さんのいたずら心がむくむくと目を醒ます。司馬さん、安野さんを美男子と認めつつも、一方をモンゴル風、もう一方をインディアン風と指摘し、その風貌を解説するのである。安野さんはヘソを出した老金太郎にされてしまう。高峰さんの筆法鋭し。

 反対に司馬さんも高峰さんのことを『街道がゆく』の中に残している。『北海諸道』では札幌のホテルでの遇会したことを記し、『オホーツク街道』では、東京本郷で初対面の安野さんとの仲介をする高峰さんのことが書いてある。
 ただ、高峰さんから司馬さんを描いても、高峰さんから司馬さんを描いても、たまたまそのそばにいたのが安野さんという光源の強い方だったので、どちらも安野さんの個性に喰われてしまった。

 安野さんもエッセイを書かれる。『原風景のなかへ』(山川出版社)という画文集である。「小豆島の醤油工場」という水彩画とともに、高峰さんへの追悼エッセイが添えられている。安野さんの文章も余韻を引く。

 本と本がつながっていく。司馬さんが高峰さんと安野さんのことを書き、高峰さんが司馬さんと安野さんのことを書き残す。安野さんも高峰さんの想い出を残し、司馬さんの日常の顔を教えてくれる。
 ワシャはお三方となんの接点もないけれど、それぞれのエッセイを読むことで3人の姿が立体化されてくる。達人たちが三次元で立ち上がってくるから不思議だ。