尊敬

 関東学生連盟の判断や、それを検証する週刊誌やテレビ報道などの累積で、ほぼ今回の「日大悪質タックル問題」の全容が見えてきた。
 ワシャは、5月26日の日記で《マスコミの切り取り情報だけではなんとも判断はできない》と前置きしつつ、《反則した選手を叱りつけておかなければいけない。叱らなかったその一点で、内田元監督に弁解の余地はないのだ。》と言っていた。

 雑多な情報が溜まっていき、そうすると平面だった「内田氏」が立体的に立ち上がってきて、彼の人となりがとても解りやすくなる。その立体像を見た上でも、やっぱり内田氏はだめなタイプの上司だった。
 詳細は、週刊誌やワイドショーに譲るが、簡単に言えば「大学内において理事長の下の理事が財政と人事を掌握して権力の代行者になってしまいましたとサ」という話。まぁ世間の組織ではどこにでも転がっている話で、上は大国の政権から、下は小さな町役場、零細企業にだって、そういうことは、ままある。そしてそれがいい場合も悪くなる場合も様々だ。そこには大事なことがあって、その財政と人事を掌握した人間が、下から尊敬されるかどうかということが組織の良否につながる。
 これは、スポーツライター青島健太さんも言っていることで、トップに君臨するもの、トップに仕える者が、権力を掌握するのは当然のことで、ただし、彼らは権力を行使する前に、部下、配下、家来、手下、子分……そして今回のようなスポーツ団体の選手たちから「尊敬」を集めることを忘れてはいけない。
「尊敬されなくてもいいんだ。恐れられればいい。そうすれば組織が強くなる」
 これは、まさに今回のケースで、これで内田氏は日大の癌となった。己の狭い器量を絶対だと思い込み、部下を怒り、叱り、侮り、「オレの聞いていないこと、納得していないことは、どんないいことでもやらせない」と言うナンバー2は、けっして組織のためにはならない。

 この間、友人から、ある組織の権力者の話を聞いた。
「なんかさぁ、オレ、最近、部下に嫌われているんだ」
 飲んだ席でそんなふうにぼやいていたそうだ。
 その権力者の、普段の行動を聞いていると「そりゃ嫌われるわなぁ」と思った。
 なにしろ部下たちの前で不在者の悪口を言いまくる。そして意に沿わない部下の過去のミスを、他の部下に調べさせたりする。組織の中で自分が一番優秀だと思っているから、人をバカ呼ばわりしてはばからない。責任は取りたくない。だから部下に対する指示が細かくなる。報告に対して神経質になる。
 その人も強い上司がいたころはまともだったが、権力者に取り入って自分が権力の代行者になった時点から人変わりしてしまった。「尊敬」という語感からは遠い人になってしまった。これは特異な例ではなく、世間に山ほどある話ですがね。

「桃李言わず。下自ずから蹊(こみち)を成す」
 意味は(桃や李は口をきいて人を招くようなことはしないが、美しい花や実ゆえに、人が争ってやってくるので、その下に自然に小道ができる。徳のある人には自然に人が心服する)ということ。
 ううむ……これを実践するのはなかなか難しいけれども、大なり小なり権力を持った者は、このことを肝に銘じたい。