諦めない

 例えばである。監禁された人間が圧倒的な暴力で支配されていると、どこかの時点で希望を失ってしまう時がある。ずっと抵抗していれば、さらに恐ろしい目に合されるし、つねに抵抗の意思を貫くということは極めてタフでなければできないことなのだ。
 北朝鮮強制収容所政治犯として収容されたとしよう。日常的な暴力、凌辱、拷問、人格破壊などが続いて、どんなに精神の頑丈な人間でも、どこかで「諦観」に達してしまうのではないか。
 それは一般の社会でも、相撲界でも同様だ。権力を握るものと、その傘下にいるものの間でそういった関係性に陥ることは往々にしてある。今回の日馬富士の事件でもそうだった。貴乃花親方は一人協会に対峙している。協会の最高権力者である八角理事長は理事や関係者をまとめ上げて貴乃花親方を孤立させてずっと責めてきた。しかしタフな貴乃花親方は諦めなかった。部屋という独立性のあるものにも支えられたし、父や叔父のDNAを色濃く受け継いでいたことも幸いしたのだろう。
 白鵬を頂点としたモンゴルグループの専横、それを見て見ぬふりをしている協会、あるいはモンゴルグループ内において星のやり取りなどなど、純粋で一本気な貴乃花親方には我慢できなかったのだろう。
 ワシャはずっと言い続けている。この日記で「白鵬」を検索していただければ、終始言っていることが一貫していることがご理解いただけよう。これは漫画家のやくみつる氏など多くの相撲ファンも言っていることなのだが「立場をわきまえろ」ということなのだ。腐っても横綱である。立場をわきまえてモノを言え、場所をわきまえて発言しろということ。やく氏の発言はここね。
http://www.iza.ne.jp/kiji/sports/news/171127/spo17112718500080-n1.html
「途中、物言い事件の時に反省の言葉を引き出したわけですけど、ただ反省させただけではなくて一体何が反省の材料となったのか。自分が場をわきまえない言動をするところを私は反省しますと自分の言葉で反省を語らせれば、千秋楽のような言動にはつながらない」
 ということなのだ。「強いからいいじゃないか」ではない。強いからこういった「わきまえない」野郎が跋扈することこそが日本の国技を腐らせる。だからワシャはずっと白鵬を辞めさせろと言っている。これ以上、ワシャの愛する大相撲を貶めないでくれ。
 いかんいかん。話がずいぶん外れてきた。要するに貴乃花親方が旧態依然とした大勢に流されず孤軍奮闘していると言いたい。ぜひとも潰されずに、改革を進めながら大相撲の伝統を守ってもらいたい。

 そういうことは一般の社会でもある。ある、というか日常茶飯ですな。独裁社長もいれば、ぼんくらトップを担ぎ権力を掌握したナンバー2もいるだろう。どういったケースでも専横が続くと、組織が何事についても消極的になり、ヒラメの社員(上ばかり見ている)が増殖してくる。トップ、ナンバー2に文句など言おうものなら、貴乃花親方のように総スカンをくらう。言わないで、ひたすらその威光に従っていれば「諦観」の境地にいたり牙を抜かれた老オオカミに成り果てる。「諦観」にいたらず牙を磨きつづけるというのはけっこう大変なんですぞ。がんばれ、貴乃花親方。

 ワシャの友だちの卑小な例で申し訳ないが、彼は数年前まで中堅企業の中枢にいた。社長直轄の課長だった。彼の上司にやはり社長の覚えめでたき遣り手の部長がいた。彼と部長はタイプがまったく違っていろいろな会議で意見が対立した。とはいえ当時の彼は「仕事上の対立はあっても仲よく飲んでいたし、和気あいあいと出張にいったりしているから」と楽観していたものである。
 その人物が抜擢され副社長になった。社長は温厚な人というか、人事になどまったく興味のない人間だった。これはあちこちからの情報が合致するので間違いのないところだと思っているが、就任早々に副社長は人事にずっぽりと手を突っ込んできたそうだ。そこでますやったことは友だちの左遷だった。中国共産党風に言えば、序列20番くらいから70番くらいに落とされたようなもの。彼をよく知る幹部たちはみなこぞって「なにかあったのか?」と心配してくれたそうだ。なにもないわさ、権力闘争に敗けたのさ。
 その後、社長、副社長以外の幹部は退職などで入れ替わり、彼の上位に座っているのは、数年前に彼の下にいた人ばかりになった。そして彼らの中の何人かは、席次の位置が逆転したことをチクチクと強調するようになったとさ。見上げていた男が、今は自分の下にいる、これは組織人としては気持ちがいい。自覚していなくても、ついついそれが表面に出てきてしまう。
 これもね、組織内で人をいじめる時の常套手段で、相撲協会の理事たちが貴乃花親方をさいなむのもこの手法である。

 そういったこともあって友だちも貴乃花親方も応援しているのだった。キーワードは「諦めない」。