リーダー論

「トップは寡黙のうちに先見力を発揮して信頼と期待を得るべきである」

これは、昨日の日記にも登場した書誌学者の谷沢永一さんの著作『統率術』に出てくるリーダー像である。

トップは寡黙でなければならない。もちろん有弁ではあるべきだが、こと部下の評価については、黙して語るべきではない。とくに人前では。酒の席での失態などを、その場ではなく時が経ってから蒸し返し責めるなどは言語道断である。部下の言動に腹が立つことがあっても、人事権を持っているのだ。黙って閑職にすっ飛ばせばいいだけのこと。
もちろん先見力は必要だ。トップが1年先2年先しか見ていないとすれば、これほどたよりのないリーダーもなかろう。早々に退場したほうがいい。遠い将来を見つめる怜徹な目、それが部下からの信頼と期待を得る。

「人を統べるとは誰もの自尊心と欲望に対処する配慮である」

と谷沢さんは言う。統率術に最も大切な筆頭の心得は部下の自尊心を傷つけないことである。そのための気配りを怠り、細かな心遣いができぬリーダーはポンコツと言っていい。組織のひとりひとりが、自分はあの統率者から認められている、と自覚した時、組織は信じられぬほどの活力を呈する。トップがこれを使わないということは組織そのものをダメにする。無能の誹りを免れまい。

次も谷沢さんの別の本にあった言葉だ。

「名将の下に無能なし」

 類似した言葉に「勇将の下に弱卒なし」である。トップが人前で、自分の部下の非を責めるなど、己の無能さを披歴しているようなものである。部下一人、まともに扱えませんと顔に書いてあったのではないか。
 30年ほど前のことである。ある自治体のトップが宴席で部下に頭を叩かれたという。周囲にいた人たちは部下が烈火のごとく叱られると思って顔色を変えて見守ったが、そのトップは笑って取り合わなかったという。同席者は「なんと度量の広い人か」と思ったそうな。
 それだけではない。その後、自分の頭を叩いた部下をどんどん昇進させていった。部下は、そのことを畏れ、一所懸命に働いたという。

 部下の無能は、トップの責と知るべきである。