ぐじゅぐじゅの未熟

 今朝の朝日新聞1面の左隅。鷲田清一氏の「折々のことば」があって、今日は童話作家富安陽子の言葉を引いていた。
「よのなかは 〈こども〉と〈もと こども〉で できている」

 昨日の日記の最後で、赤シャツと野だいこを玉子でやっつける坊っちゃん山嵐に対して「もう大人のすることではない。子供こども……」と言った。でも読者は坊っちゃんたちの子供のような純心な心に感動するのである。〈もと こども〉なんだけど正義感は〈こども〉な二人がカッコイイのである。

 小林まこと『格闘探偵団』(講談社)の主人公の東三四郎もそうなんですね。
 プロレスラーだったのだが現在業界から干されて私立探偵をやっている。その男が「猫頭(にゃとう)」という犯罪組織を壊滅させ、ついにその首領を追いつめる。そのシーンで首領が三四郎に言う。
「堅気にしておくのはもったいない男あるな……。10億は山分けしようじゃないあるか。半々でどうあるか」
 これに対して三四郎は平然と答える。
「あいにくオレは100億を断ったことがある男でな」
 三四郎は前作で闘った大企業のトップから100億円で犯罪を見逃すように持ちかけられ、悩みに悩んだ末に断ってしまった。そのことを言っている。
 正義などという子供っぽいものに殉じるために、5億円、いやいや100億円をふいにした男。子供っぽいが格好いいではないか。
 
 先日、作詞家の阿久悠のエッセイを読んでいて「あなたは寅さんを愛せますか?」という掌編に出会った。もちろん「寅さん」というのは葛飾柴又の車寅次郎のことで、「男はつらいよ」映画の話である。
 この中で阿久悠は寅次郎の理不尽さを看破する。
《外面の良さと内面の悪さの極端さにある。旅に出ているときの寅さんは、実にものわかりがよく、情に厚く、過剰なくらいに親切で、ホロリとさせるほどにやさしい。詩情的ですらある。しかし、ひとたび葛飾柴又の身内のところへ戻って来ると、幼児的で、身勝手で、何度も言うが暴力的でさえある。拗ねる、僻む、暴れるである。》
 そう、幼児的なのだ。寅さんは子供だから魅力があり、「もと こども」たちが新春や盆を待ちわびたのである。
 ああ、寅さんに逢いたいなぁ〜。

 冒頭の「折々のことば」で鷲田氏がこう締めている。
「干からびた成熟ではなく、ぐじゅぐじゅの未熟が大事」
 まだまだ干からびてはいられまへんで!