ススキが揺れている。その向こうに蓬莱橋。大井川である。
その橋を雲水が渡って行く。
むこうからやくざ風の男が茶色の革の鞄を下げてやって来る。
二人が橋の半ばですれ違う。雲水、振り返り……。
雲水「旅のおかた……」
やくざ風の男も、立ち止まり、ゆっくりと見返る。
男「何か?」
雲水「まことに失礼かとは存じますが、あなた、お顔に女難の相が出ております。お気をつけなさいますように」
男「わかっております。物心ついてこのかた、そのことで苦しみぬいております」
雲水、深くうなずく。
男「では……」
雲水に手を合わせるのは寅次郎。
「男はつらいよ」第22作のワンシーンである。渥美清、大滝秀治、名優二人の火花を散らすようなギャグがすばらしい。
しかし寅次郎の四角い顔を思い浮かべてください。どこをどう見たら「女難の相」なのでしょう。もっとも女難から遠そうな顔にむかって「お気をつけなさいますように」と真顔で言う雲水役の大滝さん。
それに対して「そのことで苦しんでいる」としらっと答える寅次郎。
スクリーンに大滝雲水が登場すると、観客はなにが始まるのかと固唾を飲んで画面を食い入るように見つめていたものだ。「女難の相」でドッカーン。「苦しみぬいております」でまたまたドッカーン。
笑い転げる観客を尻目に、二人は蓬莱橋を西東(にしひがし)に静かに分かれていく。
名優大滝秀治が逝った。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121005-00000052-mai-soci
もう一つ。
最上川を木船が渡っていく。よく見ると船に寅次郎が乗っている。
集落の中の細い道を花をもった寅次郎が行く。
山の上の墓地、卒塔婆のむこうに朝日連山、眼下に最上川。
木柱墓に「故最上雪之墓」とある。その前にぬかずく寅次郎、花を供え線香を焚いている。
男の声「失礼だがお雪さんのお身内のかたかな?」
僧が現われる。寅、立ち上がって会釈をする。
寅「いえ、ちょっとした知り合いのものでございます」
僧「ほう、どちらから?」
寅「東京からまいりました」
僧「ほお……そりゃぁまた遠いところからわざわざよく来てくださった。お名前は?」
寅「車寅次郎と申します」
僧、墓にむかい
僧「お雪さん、東京から、車さんってお方がお見えになったよ。仏ほっとけと言ってね、ついほったらかしにしてすまんね」
僧、手を合わせ、
僧「久しぶりにお経をあげようかね。あなたもご一緒に……」
寅「はい」
手を合わせる寅。
朗々とした僧のお経。
墓地から下りてくる細い道。寅と僧が並んで歩く。
僧「はっきり言えば、お雪さんは騙されたんでしょうな。いや、土地の者じゃない。東京から来て、何か商売のようなことをやってるような男でした」
うつむいて話に耳を傾ける寅。
僧「少しばかり様子がいいのを鼻にかけていろいろと女出入りの噂の絶えない男だった。お雪さんもずいぶん尽くしたようだったが、男にしてみりゃしょせん遊びごと、お雪さんに子供ができたと知ってあわてて行方をくらました。ま、そんなことでした」
寅「お雪さんは、その後もその男のことをずーっと思って暮らしたんでしょうね」
僧「いやいやあの人は利口な人だったから、歳をとるにつれて分かったようです」
寅の深刻な顔。
僧「よく寺に来て話してました。私に少しでも学問があれば、男の不実を見抜けたものを、学問がないばかりに一生の悔いを残してしまった」
僧、ちらりと寅のほうを見る。
僧「かわいそうな人でした」
山門の石段下。寅と僧。
僧「ご苦労様でした。道中御無事で」
寅は道を下り、僧は石段を上がりはじめる。
鳥の声。
寅、振り返り、
寅「和尚さん」
石段の途中で振り返る僧。
寅「私にはお雪さんの気持ちがよーくわかります」
僧「左様かな」
寅「はい、私も学問ないから、今まで辛いことや、悲しい思いをどれだけしたか分かりません。本当に私のようなバカな男は、どうしようもないですよ」
僧「いや、それは違う。己の愚かしさに気がついた人間は愚かとはいいません(寅を指さし)あなたはもう利口な人だ」
寅、うなずく。
僧「己を知る。これが何よりも大事なことです。己を知り、他人を知り、世界を知るということができるというわけです。あなたも学問をなさるといい。四十の手習いと言ってなあ、学問を始めるのに早い遅いはない。ね、子のたまわく、明日に道をきけば、夕べに死すとも可なり」
僧、左手で寅を拝むと、石段を登りはじめる。
僧を見上げている寅。
寅「和尚さん、今のお言葉、もう一遍、お聴かせいただけませんでしょうか?」
僧、振り返り、
僧「子のたまわく、明日に道をきけば、夕べに死すとも可なり」
僧、再び寅に背を向けて石段を登りはじめる。
僧「物事の道理をきわめ知ることができれば、いつ死んでもかまわない。学問の道はそれほど遠く険しいということで……」
山門に消える僧。
これは第16作だったか。
大滝秀治さんは読書家だったという。奥さんによれば難しい本ばかり読んでいたそうだ。そういった裏付けがあるからこそ、「明日に道をきけば、夕べに死すとも可なり」という臭いセリフが生きている。
ワシャも寅次郎クラスの阿呆だから、この和尚の言葉が身にしみたものだ。だから、未だにわずかばかりの脳を使って足掻いている。それにしても日暮れて道遠しではあるが……。
大滝秀治さんのご冥福を祈る。