渚ゆう子

 1970年に京都の唄が大ブレークした。渚ゆう子の『京都慕情』である。♪あの人の 姿 懐かしい 黄昏の 河原町 恋は 恋は 弱い女を どうして泣かせるの〜♪
http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E4%BA%AC%E9%83%BD%E6%85%95%E6%83%85+%E6%AD%8C%E8%A9%9E&tid=7ae2a26a7de97439dd6cd261bf13cb4f&ei=UTF-8&rkf=2&dd=1
 この曲は、ワシャの心の唄ベストテンに入る名曲だ。ちょうど小学6年の修学旅行で京都に行った時に流行っていた。その時の担任の先生が大らかな方で、この意味深な詩の唄を教室で歌っても、なにも言わなかった。だから京都に行くことが楽しみな子供たちは、大声で「♪苦しめないで〜 ああ責めないで〜♪」と歌ったものである。
 それ以降、何度京都に足を運んだことだろう。それぞれの季節に花を愛でるために、あるいは仏像とか寺社とかテーマを決めて、また美味しいものを食すため行ったこともあった。一時期は、何かの雑誌の懸賞に応募してやろうと思い立ち、京都を舞台にした「時代短編小説」の取材になんども通った、なんてこともあった。結果は、佳作の欄に名前が載っただけでしたけどね(笑)。
 先日、『没後20年 司馬遼太郎の言葉』(朝日新聞出版)が発刊された。もちろん速攻で買った。その中に陳舜臣さんとの対談が載っている。「空海」についてである。そこで司馬さんはこう言っている。
密教というのは非常に儀式的なもので、それに造形をもって象徴する所が多くて、舞台装置も小道具もみんな必要だから、全部受教する者が買い整えなければならない」
 空海は20年分の渡航費用をわずか2年で使い果たしている。もちろん密教に必要な文物を買いそろえたからに他ならない。
 幸運なことに1200年の時を経ても、唐の長安空海が感動したことどもに、私たちは東寺や金剛峰寺で逢うことができる。東寺の講堂の薄暗がりの中に身を置いてごらんなさいよ。林立する仏様に囲まれて、まさに自分が胎蔵界曼荼羅の中にいるような錯覚を起こす。
 ワシャは、体中に蛇を巻きつけた「軍荼利明王」が好きなのだ。この方に怒りに満ちたお顔で睨みつけられると、心の中のわだかまりがスッと消えていく、そんな気がするのである。
 上記にくっつけておいたURLをクリックすると「赤い傘をさした舞妓はん」の「京都慕情」があるでしょ。この曲を聴いていたら、「また行きてー」となってしまったのじゃ。マジで年明けにでも行こうかな。