司馬遼太郎『空海の風景』(中央公論社)の上巻を読んでいる。何度目だろう。次回の読書会の課題図書に指定されたので、あらためてページを繰っている。
それにしても人間の記憶などというものはいい加減なものですな。久しぶりに読むと、新たな感動やら、可笑しみなどがあって、面白いのである。小説(と言っていいかどうか)としては、読みやすいものではない。そりゃはるかに『燃え剣』や『竜馬がゆく』のほうがワクワクしてハラハラして、次に何が起きるのか楽しみでしようがない。読み難いと言われた『坂の上の雲』ですら、この弘法大師の物語より、扱いやすいのではないか。
それでもね、弘法大師についての論文・資料を読んでいると思えば、それはそれなりに興味深く、聖人としての空海ではなく、人間空海が行間から立ち上がってくるから面白い。人間通の司馬遼太郎の本領発揮の一冊と言っていいだろう。おそらくこれほどまでに弘法大師を裸にした文章はほかにあるまい。
《中間階級出身者にふさわしい山っ気と覇気を生涯持続した。》
《終生の性格がそうであったように、ときには挑むように、ときにはふてぶてしく無視をするように、そして外貌からみればなにやら毅然として都大路を歩いていたにちがいない。》
《空海は記憶力と論理の能力にめぐまれていただけではなく、稀有の文才にめぐまれていた。》
《空海における論理的なくせとしてつねに濃厚にあらわれる完全主義》
《空海の美的感覚は冷えた寒色や救いのない暗い沈潜を好まず、朱や紫金や金銀でいろどられた世界を好んだ。》
《空海がかれ自身規定したかれの生涯は旅であったらしい。》
《空海の生涯を思い、ふとこの人ほど暖流に適(あ)ったひとはいないのではないかと思った》
《日本史上もっとも形而上的な思考を持ち、それを一分のくるいもなく論理化する構成力に長けた観念主義者》
《十九歳の空海は、諸霊に憑かれやすい古代的精神体質をもっていたであろう。》
《いやみなほどに野心のみなぎった青年》
《気の弱い僧なら門前で尻込みするようほどのこの官寺(東大寺)に、かれはぬけぬけと出入りし、経蔵に入りこんだり、無資格ながら講筵(こうえん)に顔をのぞかせたりしていた》
《遣隋・遣唐使の制度がはじまって以来、これほど鋭利で鮮明な目的をもって海を渡ろうとした人物はいない。》
《かれはこの種のこと(政界ゴシップ)になると驚くべき早耳をもっていた》
《空海は後年、最長に対してつねにとげを用意した。お人よしの並みな性格ではとうてい為しがたいような最澄に対する悪意の拒絶や、痛烈な皮肉、さらには公的な論文において最澄の教学を低く格付けするなどの、いわばあくのつよい仕打ちもやってのけた。》
《空海は、機敏であった。》
《かれはついには性欲を逆に絶対肯定し、それを変質昇華させる方法としての大日経の世界というものをも、からだの中の粘膜が戦慄するような実感とともに感知したにちがいない。》
《空海というのは、奥床しいのか、狡いのか。》
《空海の人柄のあくのつよさが露骨に眼前にあらわれる。》
《お世辞がうまいというより、お世辞がそのまま文辞の気品をつくっているといっていい。》
《こういう詭弁に似た言い方を、古来、唐土の教養人は好み、機知としてよろこんだ。空海は読み手の側のそういう機微も当然ながら察しぬいていた》
《配慮は巧緻》
《あざといばかりに煩瑣な美を愛する傾向》
《空海は生涯の行蔵からみて謙虚という、都会の美徳はもっていなかったとおもわれる。かれがのちに謙虚さを見せる言動が多少あるにせよ、それは駆け引きからくる演出にすぎなかった》
《自分の行動についてはすぐれた劇的構成力をもっていた。》
《芝居っ気ということについての天成のなにかをにおわせている。》
《肉体的にたれよりも健壮である》
前半だけでも、こういった生々しい空海像が司馬さんによって示されている。どうでしょう。「弘法様」とか「御大師様」とか尊称で呼ばれ民間信仰ではおそらくダントツ人気の空海とは程遠い感じがしませんか。
ワシャ的には、つんと澄まして旅装で立つ弘法様より、金剛杵をもって坐禅をする弘法様よりも、『空海の風景』で描かれる人間空海のほうに親しみを持った。最澄に嫉妬し、なんとか這い上がって、人に認められるためには、自分の途を通すためには、どんな手でも遣う・・・とても人間臭くて親近感を抱きますな。