奇妙な縁

 今日の日記は朝飯前に書き上げた。推敲してアップをする前に朝食をとっておこうと思い居間にゆく。テレビがついていた。NHK-BSの「グレートトラバース3 日本三百名山全山人力踏破」がちょうど流れていた。これね。

https://www4.nhk.or.jp/greattraverse/

 プロアドベンチャーレーサーの田中陽希(たなか ようき)さんが、日本の三百名山前人未到の完全人力踏破で達成しようという記録番組である。あまりテレビは見ないので、BGMくらいに考えている。だから、画面は気にせず、テーブル上のパンとヨーグルトに集中していると、「親孝行するか!」「はい!」「一所懸命生きるか!」「はい!」なんていう絶叫が聞こえてきた。

「なに?」と、モニターを見ると田中さんが峻険な崖の上で逆さまにされている。胴にはロープが1本掛けられているのみで、今にも崖から落ちそうになっている。

 ワシャの体に電流が走った。

 

 0時を回っていたから今日のことである。明日、読書会があって、その課題図書が『空海の風景』だということは昨日書いた。でね、『空海の風景』の上下巻と、それに何冊かの関連本を持ち込んで布団にくるまって読んでいたのだ。

空海の風景』の本編は読み終わっている。「あとがき」も読んでおこうと思って、下巻を披いた。そこに司馬遼太郎が13歳になったおりの願掛けのお礼詣りに、吉野の奥の大峰山上に登ったときの話がある。ここで山伏の一団と行き合うのだが、そのあたりのことを少し長くなるが引く。

《白装束に金剛杖、わらじばきといったかれらの姿や、道中で真言を唱えたり、猥雑な会話をしたり、ともかくもそういうひとびとの声や姿のきれぎれが子供の感覚には異様で、気味が悪かった。(中略)それでも子供に対しては苛酷で、私を山頂の岩場に連れてゆき、胴に太いロープを巻きつけ、体をさかさまにしてそれこそ千仭の谷底をのぞかせ、「親孝行をするか、勉強をするか」などと問いかけるのである。むろん子供たちがけなげな返答をするまでそのことを問いつづけるのだが、なにぶんロープのはしをにぎっている山伏たちが座興のように笑いながらやっているだけに、そらぞらしく下品でなんとも妙な感じのものであったが、それでも私は型どおり、「はい」と答えた。この嘘をつくときの面映ゆい気持ちが、今も残っている。》

 まさに司馬さんの体験記を読んだその直後に、田中さんの実体験を映像で見たのである。こんな偶然があるだろうか?

 おそらく明日の読書会の課題図書が別の本であったなら、田中さんの体験を見てもワシャはなにも感じず、パンを食っていただろう。

 課題図書は上巻だけだったので、下巻の「あとがき」まで読まなくてもよかった。読まなければ、やはりパンを食べ続けていた。

 いつもならワシャは書庫の机のところで朝食をとる。9割方、居間にいない。それに大峰山頂のシーンは2分もなかっただろう。たまたまその時、魔が差したかのように、そこに座っていた。

 

 まぁ偶然といえば偶然なんですが、『空海の風景』上巻291ページに《かれの生涯には、この種の、なにか奇妙な縁のようなものが多い。》という文章がある。この部分を読んでいたので、司馬さんの少年時代の体験と、田中さんの映像が奇しくもつながった時に、御大師様の「奇妙な縁」を電流のように感じたのであった。

 

 ということで、早朝からシコシコと書いていた「武漢肺炎」の原稿は飛んでしまった。