千年後の国宝

 総選挙の結果については、まあ事前の下馬評どおりなのでとくに記することもなし。立憲民主党の躍進については、日本人というのはホントに忘れることの得意な民族だなぁくらいか。東京18区菅直人、党名を変えたくらいで当選させたらいかんでしょう。
 まぁ個々の選挙区や候補者の話、二世議員小選挙区の問題などについてはもう少し分析してから書くことにしようっと。

 それよりもふと思ったことを記しておく。
 今、京都国立博物館で「国宝展」が開催中だ。現在はⅡ期の展示になっている。「火焔土器」、「縄文のビーナス」などは久しぶりだなぁ。二つともずいぶん前に地元の歴史博物館に来ている。「火焔土器」にいたっては十日町の博物館に行って収蔵庫に並んだ何百という土器を見たことがあるが、「火焔土器」はすごい造形物だと思う。縄文人の感性は現代人のそれと比べてもまったく遜色のないものである。弥生人の造った「袈裟襷文銅鐸」なども世界に類例のない独特の造形であって、日本民族のユニークさを感じることができる。
 教王護国寺(東寺)からは「兜跋毘沙門天」が、清涼寺からは「釈迦如来」がお出ましになる。
信貴山縁起絵巻」の風小僧(ホントは「剣の護法」という)にも会いたいし、「風神雷神図屏風」の二人にも間近でお目にかかりたい。
 空海がまとった「七条綴織袈裟」や、空海が唐から持ち帰った「金銅錫杖頭」など千年の時空を超えて目の前に並ぶ。
 ワシャがとくに拝見したいのは志野茶碗の「卯花墻」(うのはながき)である。これは国産陶器のなかでも名碗で加藤唐九郎も大絶賛している。

 というように過去の時代は、現在にいろいろな宝を残してくれた。それはそれぞれが素晴らしい匠たちの創った造形物である。しかし平成の時代は千年後になにを残せるのだろう。ぜったいにスマホは「火焔土器」に肩を並べられないし、テレビゲームの映像が「信貴山縁起絵巻」に対抗できるとも思えない。

 千年後にも京都博物館で「国宝展」はやっているだろう。その時に「平成の国宝」は何が並ぶのだろう。現時点でワシャには想像ができない。