10月6日の日記
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20151006
に、「ツタヤ」が展開するCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)について書いた。そこで《図書館の管理運営は「ツタヤ」や「ワタミ」あたりではできない》と結論付けた。
コラムニストの勝谷誠彦さんが昨日の有料メールで「ツタヤ(TSUTAYA)」についてこう言われている。
《TSUTAYAのような「商売人」を図書館に入れることの危うさを私は終始、警告してきた。》
勝谷さんは武雄市の樋渡前市長(現在はTSUTAYAの関連会社に天下り/大笑)と対論をした。その時の印象をこう書いている。
《彼が図書館の民主主義におけるポジションをまったく理解していないことがわかった。》
そこを起こしとして、やはりツタヤネタを使ってコラムを書いた昨日の「天声人語」を笑っている、いや怒っている。ワシャも昨日の朝の「天声珍語」を読んだけれども、相変わらずのひどさに恐れ入りやの鬼子母神だ。
入谷といえば、入谷駅のすぐ東に台東区の中央図書館がある。そこには「池波正太郎記念文庫」があるんですね。
https://www.taitocity.net/tai-lib/ikenami/index.html
ここはツタヤ図書館ではないので、とてもいい図書館だ。池波正太郎などの資料が充実している。武雄だったら池波正太郎の自筆原稿など紙くずとして捨てられていたかもね(笑)。
勝谷さんは「作家として本を買ってほしいが、民主主義の装置として図書館は必要だ」と言われる。これは図書館が「思想・表現の自由」や「資料収集・提供の自由」があり、そのことが住民の民度を向上させるからに他ならない。
もちろんワシャは「本は買う」派である。作家の日垣隆さんや、勝谷誠彦さんほどは買えないけれど、素人にしては買う方だ。「線を引く」「付箋を打つ」「書きこむ」から、借りた本では何もできない。でもね、図書館のヘビーユーザーでもある。買うといっても限界はあるし、ちょっと見ておきたい本や、高額でとてもじゃないけれど買えない本、もうどこにも売っていない本などは図書館を利用しなければどうしようもない。
だから地元には、営利を度外視して運営され、しっかりとした資料を揃えた図書館が欲しいと思っている。
「図書館は民主主義の砦である」とは図書館関係者の中ではよく言われることである。しかし、権力の圧力がかかった場合、この「砦」はとても脆弱だ。この「砦」を強靭にするためには、地域の健全な住民が結集して「砦」を守ることが重要となってくる。
まさに小牧市の事例はそれであろう。図書館の民主主義におけるポジションをまったく理解していなかった武雄パフォーマーの二番煎じをした小牧。はてさて民主主義が図書館を守れるかどうか、今後の動向が楽しみである。