今日は思い出話をひとつ。
高校時代のことである。ワシャの通うのは県立凸凹高校。全校で1000人ほどの規模である。一応、進学校なのだが、ここ数年(ワシャが在校していた前後)、地元にヘンなのが大量発生し、そいつらが入学してきて、学業的には少し傾きだしている。だが、反比例して、喧嘩は強くなっていた。でもまだまだ周辺の高校からは「たかりをかけるなら凸凹高校」と言われており、悲しいかな、私立高校や実業系の高校のチンピラから的にされたものである。
夜の公園を凸凹高校のカップルがデートしていたら、□○農業高校の不良に囲まれて脅されたとか、隣町の商店街にサッカーシューズを買いに行ったら、▲◇工業高校のワルにかつ上げされたとか、凸凹高校のバッチは「ヘボバッチ」と言われるほど情けなかったなぁ。
これを自主防衛するために、凸凹高校番長連合が組織された(笑)。ワシャは参加したくなかったんですよ(泣)。そうやってつるむっていうのはワシャのスタイルじゃないんだもの。だけどね、母校の名誉と、凸凹高校の健全な生徒たちを守るために防衛出動することにしたのだった。
手始めに、凸凹高校最寄の繁華街(昔は田舎にもあったんですよ)に緊急の場合に連絡できる駐屯店をつくったのである。駅前のDという喫茶店だった。当時は携帯なんていう文明の利器はなかった。だから公衆電話か人が走るしか方法はない。喧嘩なんてしょせんは数だから、散らばっていると不利なのである。だから常に仲間がいる場所をつくったわけだ。
ワシャは勉強がしたかったんですよ(泣)。でも、駐屯地に駐屯していないといけないから、しぶしぶ、授業を抜け出して二人で出かけた〜♪。いやいや二人ではなかった。数人だった。駐屯しやすい喫茶店〜♪には、浪人中の先輩やら、プータローの仲間なんかがいつもたむろしていて、何かことがあると「すわ!」ってんで、現場に駆けつけたものである。また、伝令が学校にも走り、授業中のメンバーが抜け出してくるってなこともあった。他校生が数人なら、こっちが10人も頭数を集めれば勝てる。それでも敵に凶暴なヤツがいると、てこずってしまうので、こっちも岡田以蔵のようなのを飼っている。
そんな小競り合いを繰り返し、それでも4年くらいかかったのではないか。ワシャの2つ上の先輩から、ワシャの1つ下までかかったからね。ワシャたちの仲間内ではこの頃のことを「戦国時代」と呼んでいた。
とくにワシャが2年生の時には、□○農林の伝説の番長と和解が成立し、安全保障が締結された。その後、凸凹・□○協定には、隣町の私立高校も参画することになり、これを「三国同盟」と呼んだ。こうなってようやく凸凹高校生にたかりが掛けられなくなった。
秀才カップルが夜中の公園でいちゃいちゃしていても、からかわれなくなったのは、実は、できの悪い同級生のそんな見えない努力があったんですぞ。どうでもいいか(笑)。
かくして凸凹高校の平和は保たれたのである。このことは、集団的自衛権がいかに大切かを後世に伝えている。
んなこたぁないか。