西南戦争

 昨日、読書会。課題図書は、小川原正道『西南戦争』(中公新書)。これをおさえておけば、明治10年の2月から9月までの間に九州でなにが起こったのかが、ざっとさらえる。
 読書会のメンバーは、戦争としての西南戦争にはあまり興味を持たなかった。ワシャなんか「田原坂の戦い」とか「人吉攻防戦」とか「城山攻防戦」とか、映画のクライマックスになりそうな戦いが目白押しで、どちらかというとそっちの方に興味がある。
 しかし、議論は西郷隆盛大久保利通の立ち位置のほうで盛り上がり、幕末から明治10年までの関係性がどうだったのか、ということころがテーマとなった。
 結論としては、西南戦争に先駆ける「佐賀の乱」「新風連の乱」「秋月の乱」「萩の乱」なども含めて、西郷と大久保の暗黙の了解のようなものがあったのではないか、ということである。特権の身分をはく奪され、禄制を廃止され、武士の魂である刀まで取り上げられた武士たちの、たぎる不満をどう排除し、内治を安定させていくかが、明治国家を成立させる第一条件だったに違いない。
 この武士排除を西郷と大久保がケータイで頻繁に連絡を取り合っていたかのように、息を合わせて、片付けをしていく。
 鹿児島の城山で西郷が割腹し、大久保が東京清水坂で暗殺され、この二人とともに鎌倉時代から続いた武士は消滅した。精神としての武士は今も残っているだろうが、形としての武士はいない。これは実の兄弟よりも信頼し合っていた西郷と大久保が画策し、成し遂げた日本歴史の大転換ではなかったか。
 そのあたりのことは、司馬遼太郎翔ぶが如く』(文春文庫)をご覧ください。