今月の地元読書会の課題図書が、小川原正道『西南戦争』(中公新書)である。日本の合戦最後のものとなった明治の内乱は、時代が近いだけに霞はかかるものの、まだその硝煙の臭いのようなものが漂っている。現在の話ではないですよ。昭和の中ごろ、ワシャが4〜5歳のころのことである。駅前の大通り、車なんて1台も通らない時代だった。大通りという名の広場で遊んでいると、クリーニング屋の娘がこんな歌を口ずさんでいた。
♪♪♪〜
一かけ 二かけて 三かけて
四かけて 五かけて 橋をかけ
橋の欄干 手を腰に
はるか向こうを 眺むれば
十七八の ねえさんが
片手に花持ち 線香持ち
ねえさんねえさん どこ行くの
私は九州 鹿児島の
西郷隆盛 娘です
明治十年 三月に
切腹なさった 父上の
お墓参りを 致します
〜♪♪♪
ワシャが小学校に上がる前だから、西南戦争から90年が経っている。もちろん西南戦争に関わった人はすべて彼岸に逝っており、辛うじてその人たちに話を聴いた次世代が古老として生き残っている時代だった。
その頃、ワシャはもちろん西郷隆盛なんて知らない。でも、切腹、墓参りなどという単語から、西郷隆盛という人は何か悪いことをして死んだんだということだけは理解できた。
この西郷隆盛の配下に村田新八という好漢がいた。村田についてはここに少し書いてある。
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20120320
おそらく西郷挙兵にもっとも反対した一人であった。その村田が、暴発しそうな私学校とそれをなんとか押さえ込んでいる自分を含めた一部の幹部をこう評している。
「四斗樽に水を入れて、腐れ縄で縛っているようなもの」
腐れ縄では組織を束ねられない。結果、鹿児島の私学校は挙兵し、熊本鎮台に殺到する。丈夫な荒縄でも腐ってはだめだ。小泉武夫『漁師の肉は腐らない』(新潮社)ではないが、腐らないことが大切だわさ。