新聞の終焉

 今朝は久しぶりに寝過ごした。夜明け前に一度目が覚めたのだが、トイレに行って補水したら、また眠ってしまったらしい。久しぶりの休みなので気が緩んだか。
 ごそごそと起きてきたのが午前7時半。キッチンに降りていって、バナナを食べながらレモネードを飲む。テレビを点けると、ちょうどネパールの地震について報じているところだった。
「ほう、死者が1400人を超えたか……」
 昨日の夜のニュースでは、100何人という数字が発表されていたが、案の定、桁が変わってきたな。これは東日本大震災でも同様だったのだが、一定の時期までは時とともに被害数値は増加する。黄金の72時間はあっというまに過ぎていく。一刻も早い自衛隊の派遣を考えるべきだろう。
 コラムニストの勝谷誠彦さんがメールで推薦していた、デイヴィッド・R・モンゴメリー『岩は嘘をつかない』(白揚社)を読んでいた。ちょうどヒマラヤの造山運動のことなんかを読んでいたところなので、ちょいとびっくりしたものである。
 モンゴメリーは言う。
《大地を見たとき、何が目に留まるだろうか?揺らぐことのない頼もしい強固さだろうか?(中略)人によって見方はさまざまだろうが、地質学者はこの世界を、常に変化し続けるきわめて動的なものと捉えている。》
ヒマラヤは今も成長しているし、その裾野は、インドとユーラシアのプレートがせめぎあう途方もない圧力のかかった危険地帯なのである。
 そうだ、詳細を新聞で確認しよう。そう思って庭に出て鬼太郎ポストから朝日新聞を引っぱり出した。家に戻るのももどかしく新聞をくつろげると、1面にネパール地震の記事である。
「ネパール地震870人超死亡」
 え?すでにテレビでは1400人超と言っている。ネットでも迅速な情報が飛び交っているというのに、新聞はあまりにも情報が遅い。鮮魚なら腐っているところだ。
 新聞業界の足元が揺れている。真剣に立て直しを考えないとおそらく生き残れまい。