地震も噴火も予知は困難

 18日の朝日新聞「総合欄」に《「活断層否定できず」維持 志賀原発規制委会合が報告書案》の見出しがあった。
 地名で言うと、志賀原発の「志賀」は「砂州でできた海岸、湖岸」というような意味で、地盤はかなり悪い。そりゃ地震が来れば揺れるし、断層が直下で割れれば、とんでもない災害になる。

 国民性と経済性に足をひっぱられるかたちで、この国の災害対応は、予測・予知を含めてきわめて杜撰だ。
 コラムニストの勝谷さんが7月14日の朝日新聞オピニオン欄を取り上げていた。静岡大学の小山真人教授の論である。要するに「地震も火山も予知はできない」ということに尽きる。これは東京大学のロバート・ゲラー教授も言っていることで、現在、地震学、火山学の世界では当たり前だのクラッカーの話である。
 小山さんは言う。
《富士山はウソをつく火山です》
 つまり、どんな兆候が出ても、それは信ずるべきものではなく、現状での事実として捉えるしかない。
《始まった噴火がどんな経過をたどり、いつ終わるのかの予測は、どの火山でも困難です》
「地球カレンダー」というものがあるでしょ。40数億年という地球の歴史を1年に置きなおしてみるというアレですわ。それで言うとね、人類が記録として災害を知っているのは、文字ができて以降だから、たかが数千年程度の観測データがなんで役に立つと思えるのか不思議だ。12月31日の23時59分過ぎのことしか知らないんだから。
川内原発再稼動に関して、九州電力は「数十年前に予兆をとらえて噴火前に核燃料を運び出す」と主張します。次の大規模噴火がいつ、どこの火山で起きるのかすら火山学者にもわからないのに、どうやって予知するというのでしょうか。》
 なんのデータも持ち合わせずに、除夜の鐘を聞きながら「元旦には、風速40mの大型の台風が鹿児島県を直撃するでしょう」と予想するようなものだ。ノストラダムスの大予言じゃあるまいし、バカバカしいと言ったらありゃしない。
 東京大学(当時)の村井俊治名誉教授は、2015年の1月から5月までに千葉県沖大地震、首都直下大地震東海大地震南海トラフ地震などが連発することが危ぶまれると言っていたが、おもいきり外してしまった。おそらく東海地震を予言して、見事に外した石橋克彦教授の割れせんべい理論の系譜を継いでいるのだろう。

 原発が立地する自治体の道県議6人が、地元の原発工事を受注する会社の役員や顧問に就任しているという。この原発議員が関わる会社の工事受注額は10億7000万円で、議員さんたちは原発再稼働賛成である。この議員たち、確固たる理論があっての賛成ならいいけれど、前述の小山教授の前ではなにも言えまい。結局、金になるからという話だわさ。政治家が目先の利に釣られてどうする。
 今朝の新聞でこの6人の名前が公表されていたが、これは氷山の一角であろう。残念なことに6人全員が保守系議員の臭いがする。電力会社にずぶずぶにされた痴呆議員の意識改革が成らないと、対立軸(反原発)との本質的な論議などできない。
 地名の喪失、不明の議員、これが致命傷にならないようにと思っている。