割り切れないジェントルマンだらけ

 甲南大学法科大学院の園田教授の言われるとおりだと思う。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140814-00000005-wordleaf-soci&p=1
「同情できる面もあるが、制度的なパニックを引き起こす可能性もある」
「真犯人であっても名誉毀損、恐喝罪となる可能性がある」
「自救行為として正当化することも難しい」
 逐一もっともである。しかし、多くの書店や、その他のいろいろなリアル店舗が多大な被害をうけ、かつ、その救済はなされないのが現実だ。
法治国家だから犯罪被害者は社会全体で支えあって行くべきだと思っています」
 と言われても、例えば個店が25万円の損失を埋めるために、どれだけの本を売らなければならないのか本当に解っているのだろうか。この状況で笑っているのは、被害者でもなく、被害者を支える社会を構成する真面目な人たちでもない。「まんだらけ」から鉄人28号をかっぱらっていった泥棒だけが喜んでいる。そういうことを、刑法学者もふくめて、みんなで共通認識をするべきではないか。

 以前、こんな事故があった。
 川崎市古書店で中学3年の男子が万引きした。店主は警察に通報し、中学生は任意同行直前に逃走をはかり、逃げる途中で近くの京浜急行踏切内で電車にはねられ死亡した。この事故が報道されると、万引きを警察に通報した古書店に対し、「人殺し」「配慮が足りない」などと非難する馬鹿どもの電話やファクスが相次いで寄せられた。このことが原因となって、古書店は閉店を余儀なくされた……という事件、事故を覚えていますか。
 この古書店主に落ち度があるのだろうか。商品の本を6冊も盗んだ泥棒に、なにか配慮しなければならないことがあるのだろうか。
 あなたの家に泥棒が入りました。6点ほどの貴金属、家電などを抱えた泥棒を見つけました。泥棒は逃げましたが、あなたは追いかけました。泥棒が遮断機の降りかけている踏切に進入して事故で死にました。あなたは、その泥棒に対して配慮がなかったのでしょうか。そんなこと絶対にないですよね。
 古書店のケースで逆を考えてみよう。店主は踏切の手前で泥棒中学生に追いついた。そこで取っ組みあいになり、中学生のほうが機敏な上に力があって、店主は踏切内に押し出され、あわれ電車にはねられて死にました。この場合、中学生は未成年なので、名前も公表されず、非難する馬鹿どもも電話やファクスなど連絡先が判らないので、中学生は少年院に収容され静かに何年か過ごしたら、めでたく娑婆に戻ってきて、事件についてはすべておしまい、ということになる。
 確かに自力救済などを無制限に認めれば、大きな混乱や制度的なパニックを起こすだろうという心配もわかる。しかし、万引きという犯罪に対しての捜査がお座なりであることは論を俟たない。いきおい自力救済を考えてしまう商店主が現われても仕方ないように思う。
 近代国家が形成される途上で、被害者が持っていた「復讐の権利」は刑罰という制度の中に吸収されていった。ジェントルマンたちは、それはそれでいいと考えた。自らが手を下すのも、国家が代りに復讐を遂げるも同じなのだから。
 しかし、必ずしもそういうことにはならなかった。犯罪者の人権や、更生の余地など、あるいは捜査の手抜きが大きくなって、被害者の権利はどんどん失われていく。
まんだらけ」は我慢に我慢を重ねてきたに違いない。その到達点として、特定できた犯罪者の顔を公表しようという手段に出たわけだ。
 今回の公表が、大学教授の言うように「(不備な)法に抵触する可能性がある」というならば、こういうのはどうだろう。窃盗犯が間違いなく特定できた場合だけ、その泥棒の顔写真をネットではなく紙で印刷をして「まんだらけ」各店舗、あるいはその他協力書店で店舗内掲出をする。ネットではないから拡散する恐れもない。返却に応じれば、あるいは逮捕されれば、店頭からポスターを外せばいいだけの話で、ネットで公開するものと比べればずいぶん良心的でしょ。
 大学教授も「可能性がある」などと手をこまねいておらず、被害者救済のための法改正を考えるべきときに差し掛かっていると思うがいかがかな。