本村発言

 ワシャは死刑存続に賛成するものである。命には命で償うものだと確信している。かつて、大馬鹿の死刑廃止論者の中山千夏が「犯罪被害者は加害者の死刑を望まない」と言って憚らなかった。しかし、被害者の皆さんには、死刑を望む声ばかりだったので、中山、大恥をかいた。
 昨日の「そこまで言って委員会」に「光市母子殺害事件」の本村洋さんが登壇されていた。その発言には妙な重さはなく、淡々とした話しぶりだった。内容は、正鵠を射た、説得力のあるものだった。あの死刑廃止を馬鹿のひとつ覚えのように唱えている田嶋陽子がぐうの音も出なかったくらいだからね。
 その発言を記録しておく。記憶で書いているので、若干のニュアンスの差はご容赦くだされ。

「子供の頃、道徳の授業で、人を殺したら死刑になるって言われました。死刑制度がなくなって、1人殺しても100人、1万人殺しても、あなたの命は国が保障しますよって、教育したときに、はたして人を殺すということに対するハードルが下がってしまうのではないかという危惧があります」
「死刑を執行する、しないということよりも、人を殺めてしまったら、自分の命を差し出さなければいけないという社会契約を結んでいるんだ、ということを実感する上でも死刑制度を残す必要があると思います」

 そして犯罪被害者の救済に奔走してきた本村さんは、意見を言う時の心構えとしてこう言った。
「自分の意見を主張する以上は、自分の顔と名前を全部出して堂々と言う、ということを信念としてやってきました」
 このところ、行政や企業にくだらないクレームを付けてくる輩が増えている。それも名無し顔無しの苦情をくどくどと……。発言者本人がある程度のリスクを背負ったものでなければ、そんなものは便所の落書きと同じだ。本村さんはそのことを上品に毅然と言われた。やはりワシャとは知性と経験が違うなぁ。

 パネラーからの「加害者の死刑執行されたらどう感じるか?」という質問に「その時にならなければ判らない。ただ妻と子供が死んだ上に、また犠牲者が増えるだけ」と答え、田嶋が「時間が経過してどう思っているか?」という質問にははっきりと「死刑判決には納得している」と断言された。そしてこう付け加えた。
「正義というのはきれいではない。いろんな人の犠牲の上に成り立っているのだということを知ってもらいたかった」
 情緒だけで意見を言っている田嶋陽子に反論することはできなかった。