早朝坐禅

 山折哲雄『早朝坐禅――凛とした生活のすすめ』(祥伝社新書)を読んだ。類書では、高田明和『一日10分の坐禅入門』(角川oneテーマ21)があり、そのことについてはここ
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20130616/
に書いた。
 ご両所とも言っていることは同様で、「坐禅をすることで心の安寧を取りもどせ」ということである。
 中でも山折さんは「一日を四つの時間に区切って生活をしよう」と言われる。このことに少し触れたい。
 まず、第一の時間は「デカルトの時間」である。早朝坐禅や、ワシャにすれば日記を書いている時間、出勤前の時間ということになる。
 第二の時間は「イエスの時間」あるいは「ゴルゴダの時間」と言われる午前中。
《勤め人にとっての午前中というのは、あたかも重い十字架を背負って坂道を登っているかのごとき気分になる時間帯だからだ。》
 仕事が降ってくる午前中を何とか乗り切り、食事を終えれば第三の時間。これを山折さんは「ブッダの時間」と呼ぶ。仕事自体はなんとか回転を始めるが、食後すぐの会議など、眠気が襲ってきて思考力は低下する。
《もう小難しい議論には頭がついていかない。人と会っていても、いつの間にかゆらゆらと舟を漕いでいる。相手の言葉のはしばしは耳に入っているのだが、「これは夢かうつつか幻か」とでもいうような調子で、現実と妄想の境界がはっきりしない。》
 ワシャの場合はそうでもないんだけど(笑)。
 そして、くたびれてへとへとになった帰宅後の時間が「涅槃の時間」である。
《これが、一日を締めくくる「涅槃の時間」である。デカルトから始まって、イエスの時間もブッダの時間も済ませた。もう人生に一度しかない今日という日に思い残すことはない。》
 そして山折さんはこう続ける。
《だから私は「さあ死んでくるか」と呟いて布団にもぐり込む。すぐに熟睡の中に溶けてゆき、途中で「生き返る」ことはない。そして翌朝、生まれ変わった私は線香に火をつけて坐り、再びデカルトとなって雑念と戯れるのだ。》
 山折さんの方法はメリハリがついておもしろいやり方だ。これが他の人にも当てはまるのかはわからないが、そういったメリハリのついたライフスタイルは必要なのだろう。
 すでにワシャは早朝坐禅を実践していますぞ(笑)。