明治の奇跡

 コラムニストの勝谷誠彦さんが主宰する「血気酒会」の映像を拡散していいということなので、貼っておきますね。
https://www.youtube.com/watch?v=39IFgKi5JDs
 登場するのは、勝谷さんとその盟友である報道カメラマンの宮嶋茂樹さん。1時間ほどの短い映像で、本物の戦場を知っている二人の会話が面白い。ぜひ、ご覧いただければと思う。

 さて、この文章をお読みいただきたい。
「政府は富国強兵を目ざして、殖産興業に力をそそぎ、近代産業の育成をはかった。そのために1868(明治1)年以来、株仲間の独占の廃止、関所・宿駅・助郷制度などの撤廃、身分にまつわる各種の制約の除去など、封建的な諸制度の撤廃につとめ、近代産業の発展の基礎をかためた。」
 これは、高校の教科書『詳説 日本史』(山川出版社)の「殖産興業」の項である。この後ろに「とくに輸出の中心となっていた製糸業の機械化のために、群馬県富岡製糸場を設け、外人技師をまねいて技術の導入と女工の養成とをはかった。」と続く。次のページには製糸場の内部を写した錦絵が掲出されている。日本史を選択した方は必ず見ていると思いますよ。
 それにしてもすごいですな。明治2年はまだ戊辰戦争が続いている。そのわずか3年後には官営模範製糸場を完成させるにいたる。伊藤博文らが主導したということだが、かたや戊辰を戦いつつ、もう一方で殖産興業を考えるという、なかなか明治の元勲たちは侮れませんぞ。実務的には、尾高惇忠(あつただ)という人物が製糸場の建設・経営にあたっている。この人物、彰義隊の創設に関わり、その後も官軍と干戈を交えていたのだが、渋沢栄一の縁者ということで、明治政府に抜擢され、その後の殖産興業に力を尽くした。ううむ、人材登用という点においても、明治政府はなかなかのものである。
 列強がひしめく国際経済の中に、まことに小さな国が極東で産声をあげた。内戦を戦いながらも産業を興すことを必死で考え、その結果として、わずかな時を経て列強の仲間入りを果たす。富国強兵が必ずしも日本を幸せにしたわけではないけれど、とにかくあの時代は欧米列強に国を侵食されないためにも強くなる必要があった。そして強くなった。日本人の勤勉さと、坂の上の雲をめざして溌剌と駆け上がる若さがあったからに相違ない。

 
 そうそう、明日からちょいと遠くに出張する。パソコンは抱えていくので、ネットに接続できれば日記を書けるけれど、接続できなければ何日か日記が更新されない。その場合はご容赦を願いたい。そのあたりの経緯については、生きて帰ってきたら、報告させていただく。現時点では、安全保障の観点からも、詳しいことは言えない(笑)。