2月1日に、友だちのユッキィさんがツイッターに「ここ数日、心配ごとが重なって滅入っていた」との記載をされていた。でも、13日には「先週末から抱えていた心配ごとが、ひとつ片付いた。少しラクになる」とあったので、よかったよかった。

 さて、ワシャのほうである。ワシャは2月の頭までは調子が良かった。2月3日にちょっとした「事」があって、それが裏目に出た。それ以降、賽の目は逆ばかりで、ユッキィさんとはさかさまになっています。

 ユッキィさんは「モヤモヤを抱えていると、どうしても気を取られ、仕事がはかどらない。皆さん、こんなときどうしているのだろう。」と疑問を投げられたが、ワシャも暗中模索の中、なにごともはかどらず、今、やや凹みつつある。

 昨晩、45歳の自営業の男性にあることへの助言を求めた。前向きでポジティブシンキングの行き届いたいい男だった。アドバイスも的確で、ことごとく納得させられた。しかし、凹んでいるときというのは、強い積極性は毒になる。話を聴いていた時には、少し肩の荷が軽くなったような気がしたのだが、朝になってみれば、話していたことが、懸案として重く残っている。悪循環だなぁ。

 ワシャは、今、抱えきれないほどの荷物を抱えている。そのどれもが好転せず、荷重が増えている状態だ。現状を打破しようと新たな動きを摸索するのだが、それがまた柵(しがらみ)となってまとわりついてくる。

 ううむ、ネガティブになってきている……困った。「モヤモヤを抱えていると、どうしても気を取られ、仕事がはかどらない。皆さん、こんなときどうしているのだろう。」

 こんなときどうするか、ワシャはたった一つだけその術を持っている。坐禅である。今日やらなければならないことは山ほどあるのだが、取りあえずそれは後ろに送っておいて、暗い書庫で坐禅を組んでみるか。

 

 1時間ほど坐る。頭はすっきりとする。さて、動き始めるか。