朝すること

 先日、地元の小学校の先生と話す機会があった。そこで「朝の読書」の効能について聞いた。授業の前に10分、子供たちに好きな本を読ませるのだそうな。そうすると子供たちが落ち着いて、いい一日がスタートできると言っていた。千葉で始まったものらしいが、今では全国に広がっているという。いいことだ。
 反面、「不読率」というものもあって、これは「小中高の子供たちが1カ月に1冊も本を読まなかった割合」のことであるが、その調査の数字を見ると、小学生で3.8%、中学生で15.0%、高校生にいたっては48.7%という驚くべき数字になっている。高校生の2人に1人は、1カ月の間、1冊の本も読まなかったということ。そんなに忙しいのかなぁ。
 ワシャは月に百冊を超える本を読破している人を、何人も知っているし、フツーのサラリーマンで、書籍購入費が月額20万を超えた人も知人の中にいる。いろいろな読書会に顔を出しているが、メンバーの読書意欲は高い。
 作家の荒俣宏さんは、風呂に入れば、そこで新書を1冊読み切るそうだ。でもそれはあまり驚くほどのことではなくて、読書家には、風呂読書をしている人はけっこういる。ワシャなんか荒俣さんの足元にも及ばないが、脱衣所には書棚があって、そこから何冊かを選んで、湯に浸かりながら読む。これは日課だ。ただし、図書館で借りた本はぜったいに持ち込まない。あくまで自分の本だけで楽しんでいる。公共財に対してそれは当然のマナーですね。
 さて、ワシャは「朝読」ならぬ「朝作」をやっている。朝から、作文を書いているんですね。「朝読」は、「読書本来の楽しみや喜びを感じる」「自由や解放感を味わう」「精神の散策や心の癒し、探究心や感性を育てる」などなど効能が多い。しかし、ワシャのやっている「朝作」はあんまり効果がない。二日酔いや寝不足の朝なんか、かなり厳しい。それに朝ぐだぐだ書いていることで、だんだんバカになってきたようなそんな気がしてきた。そんなことをやっている暇があったら、早朝ウオーキングに出かけるとか、早朝坐禅を組むとか、ほかにもっと建設的なことがありそうなものだが……。
 ここまで書いてきて、一息入れて朝日新聞を読んだ。およよ、今朝の「天声人語」が相変わらずひどい。「朝作」の話なんかしている場合ではなかった。