映画で泣いてよく眠る

 作家の日垣隆さんが『折れそうな心の鍛え方』(幻冬舎新書)の中で《……何かに共感して涙を流すこと。これは「ガス抜きにふさわしい泣き方」であり、前頭葉が特殊に発達した人類のみ見られる現象だそうです。体験と知恵の蓄積なくして共感の涙はありえません。深く生きた人ほど泣けるのです。》と言われる。
 なるほど、ワシャは「男たちの大和 YAMATO」でのっけからビー泣き状態になり、結局、最後まで泣き通してしまった経験をもつ。「永遠の0」でも「大和」ほどではないにしろ泣いた。あの共感の涙は、ワシャが先の戦争を体験しているからに相違ない(わけないか)。
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20140126/
にも書いたけれど、幼いころに熱が出ると戦場の夢をよく見た。おそらくテレビか映画で見た戦争ものの記憶がよみがえったものだと思うけれど、その頃はワシャの前世は戦闘機乗りだと思いこんでいた。

 夕べ、午後11時過ぎに床に入ったのだが、午前3時に目が覚めた。実質、3時間半、この間には夢を見ていないから熟睡していたのだろう。それから布団の中でぐずぐずもぞもぞしながら午前6時まで過ごす。ワシャ的には3時から6時までの3時間はほぼ寝ていないという意識なのだが、実は断片的に夢を見ていた。残念ながら戦場の夢ではなかったが、会議室棟で迷ってうろうろする夢や、見知らぬ土地を自転車で走っている夢を見た。本人は寝ていないつもりでも実は浅く寝ていたことになる。
 そのあたりのことは「眠り」の権威である井上昌次郎さんが『眠りを科学する』(朝倉書店)の中で書いておられる。
《熟睡は寝入りばなの3時間ほどのあいだに優先的に出現し終わっています。もうそれ以上はほとんど現れず、なかば眠りなかば覚めているという「うとうと状態」になるわけですね》
 おおお、まさに夕べのワシャの状態だわさ。
《ちなみに、多くの人は自分の睡眠を低めに評価しがちです。一睡もしなかったとか、しょっちゅう目が覚めていたとか、寝た気がしないとかのたぐいです。睡眠中に体験するできごとはほとんど記憶にとどまることなく消え失せてしまいますから、自分の寝ざまを客観的に回想できません。(中略)うとうとしながら夢をみたり、寝返りをうったりしていたというような自覚・回想できる体験のほうが「たっぷり眠った・よい眠りだった」と評価でき、ストレス解消につながることもあります。》
 この本の中で井上先生は「短眠者」と「長眠者」の存在にふれている。毎夜6時間未満しか寝床にいない人を「短眠者」、毎夜9時間以上寝床で過ごす人を「長眠者」というらしい。先生は言われる。
《睡眠が絶対に8時間必要だという根拠はありません。それより短くても長くてもよいのです。日常生活で自分の眠りが気にならなければ、つまり、自分の眠りについて悩みがなければ、それでよいのです。》
《短眠であっても長眠であっても、深いノンレム睡眠の総量はほとんど同じです。》

 ううむ、眠りについていい勉強になったわい。