受領名(ずりょうめい)

週刊文春」出て、全聾・被爆二世の作曲家伝説は終焉をむかえた。あちこちで批判の嵐が巻き起こっているので、ワシャまで参戦する気はない。
 ただ、初めて佐村河内守氏のことを新聞で見たときに「佐村河内守」を「さむらかわちのかみ」と読んでしまった。「佐村なんていう大名、旗本がいたっけなぁ?」と思ったものである。佐村河内一郎とか佐村河内徹だったら間違えなかっただけれど、佐村河内守では、ワシャの江戸的頭脳では「大岡越前守」「松平伊豆守」などと同様に思えてしまったのだった。それで『寛政重修諸家譜』を引っ張り出してきて、思い切り調べてしまいましたぞ。

天声人語」を笑えない展開だが、受領名(武家官位)の「河内守」(かわちのかみ)の中でもビッグネームというと、やはり楠正成であろう。戦前なら忠臣の第一等の人物で、現在も皇居の東に馬を駆る姿の銅像を見ることができる。後にも先にも、楠木河内守を超える河内守はいない。
 江戸期には、130人ほどの河内守が存在した。ざっと見渡したけれど、特筆すべき人物はいなかった。では、佐村は大名、旗本の中にいるのかと思って調べたが、残念ながら佐村氏もいなかった。どうでもいいことだけれど。
『新刊文春』の後追いでいろいろな話が出てきている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140207-00000661-wsj-int
 批判の列に加わらないけれど、ワルはワルなりに、きちんとけじめをつけたほうが格好いい。「精神的に動揺しているから、弁護士を通じで声明を発表しました」では、いささか情けなかろう。馬脚を現してみれば、ケチな詐欺師だったとさ。
 
 東広島市河内の昔話にこんな話がある。
http://town.chupea.jp/minwa/
 昔、河内町の宇根山の農家で結婚式が行われることになった。料理を頼まれた魚屋の半助どんが仕入れの帰り道、ついひと寝入りした間に、キツネに魚を全部盗まれてしもうた。半助どんはキツネを探し出すとげんこつをポカリ。キツネは「許してくれ。ところであんたのきらいなものは何か」と聞く。「小判じゃ。あれを見ると身震いがする」と半助どんは答えてみた。
その晩のことじゃ。半助どんの家の戸をたたくものがおる。キツネじゃ。「今日わしをなぐったお礼じゃ。これでもくらえ」。投げるわ、投げるわ、千両箱の小判を。
「わぁ、こわい」と大げさに頭をかかえる半助どん。「ああ、まばゆい。目が見えん」。図に乗るキツネ。とうとう、千両箱が空になってしもうた。これで半助どんは思いもよらず大金持ちになったということじゃ。

 半助どんが高橋大輔さんで、すっかり河内守に騙されちゃった。でも、金メダルという拳骨でぜひポカリとやっていただきたい。そうすると駄作が小判を生んで少しは経済対策になるじゃろ。