生まれてくるのが遅かった

 おそらく世が世ならば、ショーン・Kも佐村河内守も名士だったに違いない。
 戦国時代、ほら吹きやうそつきが出世することは、それほど難しいことではなかった。もちろん2人の詐欺師がやったことを肯定するものではない。が、あれぐらいの山師はごろごろといて、けっこう歴史を創るのに貢献した。そもそも豊臣秀吉の出自・経歴などまったくのまやかしであり、江戸300家の大名だって、家の由来がはっきりしている藩主など数家にも足るまい。そのほとんどが、草深き野の中からあらわれた夢見るほら吹きたちだった。
 小幡勘兵衛という名代のほら吹きががいる。「元和偃武」以降に勃興した似非学問の軍学を広めた男である。大坂城内で間諜のようなことをしていて、大坂の陣以降、家康の情けで旗本のすみに居場所を与えられた。1500石というから、600坪の土地をたまわり、500坪ほどの屋敷を建てたてることができた。現在でいえば大邸宅である。勘兵衛以降、一族にホラッチョは登場せず、初代のほらでこの家は幕末まで、殿様の生活が保障された。
 ほら吹きにとっては慶長の時代はいい時代だったろう。