大岡忠相(ただすけ)

 NHKでスペシャルドラマ「大岡越前」が東山紀之の主演で始まった。
 http://www.nhk.or.jp/drama/oooka/
 山下毅雄さんが作曲したテーマ曲が懐かしく、ついついチャンネルを合わせる。
 かつての加藤剛大岡忠相もよかったが、東山越前守もなかなか健闘している。若いのにズラも似合う。親友の伊織を勝村政信がやっているが、竹脇無我に比べ、やや軽い感じがつきまとう。しかし、風貌は実に似ていて、前作を見ているかのような錯覚に陥る。そこはうれしかった。

 その大岡忠相のことである。忠相は、旗本大岡美濃守忠高の四男に生まれた。10歳のときに同族の大岡忠真(ただざね)(ドラマでは津川雅彦が演じる)の家に養子にはいる。生家が2700石、養家が1420石、どちらも上級の旗本であり、裕福であったろう。
 少し家系をさかのぼりたい。忠相から数えて八、九代前に三河国八名郡宇利から同国碧海郡大岡村に移り住んだ。ここで大岡という姓を採っている。四代前の忠勝、三代前の忠政が家康に仕え、戦場に従った。家康創業期の一大危機であった三河一向一揆にも家康側を離れず忠勤に励んだ。三方ヶ原、長篠、長久手の合戦にも、家康のまさに旗本として従軍している。
 このため幕府開闢以来、旗本としてお膝もとに住すことを許され、他の大名たちと比べると、石高は少ないがその分負担も少なく優雅な暮らしが保障された。あのおっとりとした東山顔は、けっこうリアルなのである。

 なんで今日、大岡越前の話なのかというと、先週の土曜日に「大岡越前」を観たということもあるのだが、観たことで、忠相が気になっていくつかの文献を漁った。『徳川実紀』の中に、忠相のことが出てくる。享保6年4月4日のことである。原文はかなり読みにくいので意訳する。
「吹き上げ御殿にて、老中幕閣が居並ぶ中で寺社奉行町奉行勘定奉行が15件の裁判を審理した。その様子を将軍吉宗が簾越しにそのようすを聴いた」
 これを上聴(じょうちょう)と言って、司法改革に熱心だった吉宗は他の将軍たちとは違って、度々上聴を行った。
 享保6年であるので、もちろん町奉行の一人として大岡忠相も出席している。忠相は41歳で町奉行に抜擢されているから、幕閣の中でも若いエリートと言っていい。ただ、「大岡政談」でみるような裁判をいくつも手掛けたかというと、それは間違いで、ほとんどが古今東西の話を、大岡越前の手柄にして面白おかしくかかれたものでしかない。実際に手がけたものは一つ二つではないか。
 それでも民政には力を尽くしている。多分に忠相は「忠恕」の人であった。そのことが民をして大岡越前をヒーローにせしめたに違いない。
 エピソードの中にこんなものがある。忠相は食味にこだわった。そして酒もたいへん好きだったという。それでも飲む前に今日は何本と数を決めておいて、けっしてそれを過ごすことがなかったそうだ。ううむ、ワシャには真似ができない。