危険な本

 名古屋の読書会のメンバーから課題図書の提案があった。吉田武『虚数の情緒』(東海大学出版会)である。メンバーは読書家で、ワシャは一目も二目もおいている人なのだが、この提案は凄かった。まず金額が、税込みで4515円である。1巻1001ページ、厚さは5.6cm。詳しくは松岡正剛の『千夜千冊』の第1005夜をご覧ください。
http://1000ya.isis.ne.jp/1005.html
 ううむ、なにしろ大著であることはわかった。しかし、パラパラとめくってみると、なんだか数字や数式が多いなぁ……。「222」のように数字の並んだのを見ると、アヒルの行列に見えてしまう数学音痴のワシャにはなかなか厳しい本のような気がする。
 副題は「中学生からの全方位独学法」とある。この副題のとおり、本書は中学生を対象者として書かれている。しかし、これだけの重量をもつ本をどれほどの中学生が手に取って読むのだろう。全国に11,000ほどの中学校があるから、1校当たり1人くらいはキチガイのように読書する生徒もいる。そうするとこの本は少なくとも1万人の中学生に読まれることになるのか。それなら意義がありますな。
 カバーのそでに《本書は人類文化の全体的把握を目指した科目分類に拘らない「独習書」である。歴史、文化、科学など多くの分野が虚数を軸に悠然たる筆致で書かれている。》とあり、帯に《新世紀の教養はこの本から始まる》とあった。
 のせられやすいワルシャワは、これだけでも1001ページの扉を開いてしまいそうになる。それに1万人の中学生に負けるのも、なんだか悔しいし……おっと、危ない危ない、ついつい読み始めてしまうところでしたぞ(笑)。
 あわてないあわてない。それでも「巻頭言」くらいは読んでおこう。それから本編にはいるかどうか決めても遅くはあるまい。それにしても「巻頭言」だけで7800字もありますぞ。やれやれ。
《さあ諸君、勉強を始めよう勉強を。数学に限らず、凡そ勉強なんてものは、何だって辛く厳しい修行である。然し、それを乗り越えた時、自分でも驚く程の充実感と、学問そのものへの興味が湧き起こってくる。昔から、楽して得られるものなんて、詰まらないものに決まっている。》
 のっけからこれかいな。いかにも挑発的な言いぶりだし、ワシャはこういった兆発にめっぽう弱い。
《我が国の知力は明らかに落ちている、品性を失っている》
《一般に社会的な地位を持っている、と云われている人達の、あまりにも深みの無い貧相な顔立ちを》
 ううう、なかなか手厳しい。ワシャらの世代を「既に崩れ去ってしまった世代」と言い切っているところも、M的快感を覚える。だから、中学生に「君たちは頑張れ」と言う。
《世の中が如何に変化しようと、青少年が一個の独立した人間として社会に出ていく為には、「読み書き算盤」が最低の必要条件である。》
《他の科目は、後々で修正が効く(中略)そういった知識や、情操に関わる部門は、大いに修正が効くのである。然し、それとて言葉や計算に難儀するようでは、とても真っ当な理解など覚束無いであろう。》
《知識に溺れる者は、考える事を放棄する者である。人類が驚きを失った時、すべての精神活動が終りを告げ、珍種の動物として記録されるに留まる》
 言い方がワシャ好みだ。ついつい「巻頭言」を読み切って、続く「本書の表記方法に就いて」に進んでしまっているではないか。

 さっき、この本を足元に落としてしまった。危ういところで避けたからよかったようなものだが、そのままの重量が足の甲を直撃していたとしたら、骨折していたかもしれない。この重さからいって、寝ながら読むのには危険な本である。
 しかし、読みはじめてしまった。