なにが名誉なのだろう

 司馬遼太郎の『風塵抄』の中に「兵庫船」と題したエッセイがある。「兵庫船」とは上方落語の一席。噺は兵庫から大坂にむかう乗合船が沖で動かなくなるところから始まる。その原因を探っていくと、大阪湾に棲む悪性な鱶(ふか)が、船に乗っている巡礼の娘に魅入って船を止めていたのだった……。
 この噺を引きながら、司馬さん自身がモスクワ空港で体験した話へと展開する。
スペインやパリに取材旅行に行った帰りのことだった。給油がすめばすぐ発つはずの日航機が、深夜、数時間にわたってモスクワ空港に足止めされた。理由は説明されない。飛行機から一旦降ろされた司馬さんたちは、空港待合室で国境警備隊に監視されながら時の過ぎるのを待った。そのあたりを司馬さんはこう書く。
《私どもは、銃で監視されている。一瞬で収容所ができあがるというふしぎな権力の慣習を味わった。》
 国家権力という鱶に飛行機が動きを止められたその理由はまもなくわかった。
《やがて通路のむこうから陽気な笑い声がきこえてきて、一人の初老の日本婦人がソ連の役人につきそわれ、ファーストクラスに入った。》
 察するに、その婦人がモスクワ市内でソ連の高官と会っていた。飛行機の時間を気にする婦人に「時間など気にしなくていい」と高官が空港に指示を出して、司馬さんの乗る日航機を二人の話が終わるまで釘付けにした、ということらしい。
 この婦人がどのような人なのか、司馬さんは詳しく書かれなかった。ただ、この婦人に対してソ連高官が「便宜供与」をしたことだけは間違いない。

 司馬さんは、権力を嫌った。中央、中心、中枢を避けた。辺境が好きなのである。中華文明よりも、その周辺のモンゴル、チベット、西域を愛した。井上靖司馬遼太郎の対談集『西域を行く』(文春文庫)は、辺境通の作家同士の思いが凝縮していておもしろい。
 その本の装画が平山郁夫の「流砂の道」
http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/bunkobon/bunko300/bunko350/index.html
である。さあて、ようやく本題に近くなってまいりました。

 今朝の新聞の社会面に「平山郁夫氏遺産2億円申告せず」という見出しが躍っている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130713-00000019-mai-soci
 夫人が自宅のタンスの中に2億円の現金を隠し持っていた。いやはやなんとも凄まじいねぇ。2億円をタンスに……入るもんなんですかねぇ。5万円を盗まれてヒーヒー言っている庶民には、想像もできまへん。

 ジャーナリストの日垣隆さんの著作『いい加減にしろよ(笑)』(文藝春秋)の第二章が「画家鑑定 平山郁夫――権力獲得の裏面史」である。権力に恋々とする日本美術院理事長、名声を重んじる日本画家の実態をみごとに炙り出していておもしろかった。
平山氏は言う。
「私にとってはお金より名誉ですから」
 名誉が手に入れば、お金は後からついてくるということなのでしょう。

 日垣さんの次の文章を読んでいて、冒頭の司馬さんの「兵庫船」のモスクワ空港のエピソードを思い出した。
《外務省の飯倉公館にも画伯の絵は飾られている。「あそこに絵を寄付すると言っても、寄付される側が困るわけですよ。国だから、その手続きが滅茶苦茶面倒くさい。あの絵は額縁代が三〇〇万円ほどで、もし買い上げれば五〇万円しか予算がないと。だから、その言い値で買っていただきました。その代わり海外に出たとき、便宜供与でいろいろ世話をしてもらえます」》
 モスクワで日航機を足止めした日本婦人というのが、平山夫人と重なった。もちろん、平山夫人ではないのだが、権力の「便宜供与」を平然と受けることができる点で、類似の人種なのではと思ったのだ。
 その上に、2億円のタンス預金である。名誉もへったくれもないわさ。

 日垣さんの平山評はこんな文章で締めくくられている。
《お描きになるものが、無学な私には銀行カレンダーのようにしか見えないとしても。》 
『西域を行く』の装画を平山氏に許した司馬さんだが、あれほど美術に造詣の深い方が、平山氏について一言も語っていない。あるいは司馬さんにも「カレンダーの絵」としか見えていなかったのかもしれない。