脇道に逸れてしまいました

 先般、ワシャが嫌いな某政治家についてふれた。彼については「平気で人を騙す。息を吐くように嘘をつく」と書いた。
 幕末、勝海舟という政治家がいた。彼も人を騙した。徳川の海軍を有する榎本武揚には「蝦夷地にでも行って、独立国をつくればどうか」と囁いた。そして実際に軍資金を与えてもいる。
 徳川四百万石の歩兵については「江戸は守りにくい。要害の日光へこもって御廟を守れ」と目的をつくってやる。
 一番厄介な、新選組には、「甲州を押さえるべし。さすれば近藤さん、あんた、百万石の大名だよ」と口説く。その上、ご丁寧に近藤勇に「若年寄」の格まで与える。元は多摩の百姓の倅である。己を戦国時代の武将になぞらえて天にも昇る気持ちだったろう。
 こうして勝は江戸に置いておくと危険な連中をさっさと口先三寸で、追っぱらった。司馬さんは、『街道をゆく』の中で、このあたりに触れ《ほどなく官軍にとらえられ、板橋で刑殺されるのだが、》とは近藤勇のことで《勝にはそういう最後が予想されたであろう。いまふとおもったことだが、歴史の転轍機のテコをにぎらされたこの不思議な政治家にとって近藤や榎本程度の犠牲は、その歩止まりのなかに入っていたにちがいない》、政治とは残酷なものである。しかし、時代をつくっていくには、あるいは多数の人々の幸福を維持するためには、時には、仲間をも切り捨てていかなければならない。勝は多くの嘘を吐いたが、それは時代のため、人々のためだったのである。それが事実であったから未だに勝海舟の名は残っている。
 同じ文庫の中にこんなフレーズがある。《井上自身は自分の分を心得ていて、維新後は伊藤博文の脇役になり、生涯脇役であることに甘んじつづけた。》井上とは井上聞多のことであり明治期の政治家である。司馬さんは続ける。《政治的な主演役者というのは袂一つ払っても爽やかさが必要なのだが、井上にはそれが欠けていたのである》
 一国の転轍機のテコをにぎる政治家に、私利私欲、自己保身などあってはならないと言っている。

 実は、そんなことを書きたかったんじゃないんですね。今日は、森鷗外の命日で、鷗外が発した言葉について書きたくて、基礎資料を読んでおかなくっちゃと思い『街道をゆく』の鷗外のところを拾い読みするつもりだった。ところが読み始めると、おもしろくてじっくりと読み込んでしまい、鷗外を忘れてしまった。

 本当は鷗外が言った「貪ることを休めよ。まことの友は一人二人あらば足りなん」について書きたかったのだが、他の話ばかりで、本筋まで到達できなかった。ごめんちゃい。