岸壁の母

〜母はきまし〜た〜今日もきた〜♪
 二葉百合子の十八番というか、これしか知らないけれど昭和47年レコード化された「岸壁の母」の歌い出しである。
 なんでこの歌から始めたかというと、昭和26年の今日、ソ連からの最後の幅員引揚船が京都府舞鶴に入港した日だからね。
 この歌にはモデルがある。息子の帰りををずっと舞鶴港の桟橋で待ち続けた母親がいた。しかし、息子が大陸から戻ることはなかった。
〜つらいさだめの〜つらいさだめの〜杖ひ〜と〜つ〜♪
 この話には後日談がある。母親が亡くなって20年くらいして息子が上海で生存していることがわかったのだ。どうやら息子のほうは母親が待っていることを知っていたようだが、連絡をすることはなかったらしい。このために母親は最後まで息子の安否を知らずに鬼籍にはいった。

 さて、ここまでは前振り。
 その舞鶴港についた引揚船である。そこから日本に降り立ったのは「赤い帰国者」と呼ばれた社会主義の思想教育を修了した者どもであった。彼らは、ソ連の労働革命歌の「インターナショナル」を高唱しながら、日本の大地を踏んだ。サヨクの病原菌が日本に大量に降り注いだ瞬間であった。スターリンの仕込んだ毒はその後60年以上にわたって日本を苦しめることになる。今回の民主党政権の大失態も、その毒に連なるものである。福島瑞穂とか田嶋陽子は、いかにも自分の考えのようにサヨク思想を口にしているが、なんのことはない。スターリンウイルスに感染しているだけのことで、そのルーツはこの日の舞鶴にあるということ。

 おおお思いだした。その田嶋さん、結構、柔弱であることが先日の「たかじんのそこまで言って委員会」で暴露された。ゲストに右翼の一水会代表の木村三浩氏が出演した時のこと。あの田嶋さんが、木村氏の発言に異を唱えない。すべて肯定をするのである。田嶋さん、いったいどうしたのだろう、と思って見ていたら、はたと気がついた。田嶋さん、右翼を怖がっていたのだ。う〜む、分かりやすい人ではある。