興安丸が災厄を持ってきた

「は〜ははきまし〜た〜きょうも〜き〜た〜♪」
 二葉百合子のヒット曲「岸壁の母」の歌い出しである。場所は、福井県舞鶴港の桟橋。すでにソビエトからの帰国事業は進んでいたが、支那中国からの引揚が始まったのは1953年3月23日だった。
 帰還の第一船は興安丸、第二船は高砂丸で合計3968人が日本の土を踏んだ。終戦後、7年半ぶりのことである。ずっと息子を待ちわびている老いた母、タラップを兵士が下りて来るたびに「もし〜やもしやに〜♪」と目を凝らしていたに違いない。
 ただ、この引揚げは感動的な話ばかりではなかった。ソビエトにしろ、支那共産党にしろ、抑留者にただ飯を食わせるわけがない。もちろん強制労働もあっただろうが、その上に、共産主義教育を施したのである。「施した」という言い方はあまい。「洗脳した」と言った方が相応しいだろう。この洗脳を施された「赤い引揚者」が、その後、日本国にどれほどの不利益をもたらしたかは、二代前の菅政権が奇しくも証明してくれているのでここで語るまでもない。

 コラムニストの勝谷誠彦さんがブログで、今週号の「週刊文春」の記事の紹介があった。
<大気汚染だけじゃない/あなたが食べている「中国猛毒食品」/厚労省摘発60品目最新リスト>
 早速、購入して読んだ。
 ううむ、それにしてもひどいね。というか、そんなことは百も予想はしていたが、現実にリストとして提示されるとその恐ろしさに慄然とする。勝谷さんは「安物食いの命失い」と揶揄していたが、まさにそのとおりだった。
 
 一時期、支那野菜がスーパーの店頭を占拠したことがあったでしょ。ネギだって、国産のものは198円とかなのに、支那産は50円くらいで並んでいた。デフレ下でも国産は高い。だけど、ワシャは支那そのものを信用していなかったので、支那産にはいっさい手を出さなかった。実は、ワシャは芋きりが好物なのだ。現在、国産の芋きりは500円くらいする。支那産ならせいぜい200円程度で売っていた。でもね、支那産の安物は絶対に買わない。命が惜しいからね。
 酒を呑むのだってそうだ。最近、やたらと安いことを売り物にするチェーン店が増えた。5000円ぽっきりの呑み放題というのも定番になってきた。
 でも、ワシャは基本的にそういった居酒屋を好まない。もちろんそういったところでセッティングされれば行くけれど、できれば、地の魚や地産食材を扱う信頼のおける大将のいる店で呑むことが多い。
 
 先日、愛知県の常滑の業者がアサリの産地偽装をしていたニュースが流れた。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130319-OYT1T00645.htm?from=ylist
 よりによって支那産を愛知県産に偽るとは、とんでもない話である。今、支那中国の沿岸の汚染は生半可なものではない。毒水の中で育ったアサリを日本人に食わせていたとは言語道断だ。ワシャの住んでいるところは、そのアサリが出回る圏内にある。辛うじてここ数年はスーパーでアサリを買ったことがない。あ、居酒屋でアサリの酒蒸しを何度か口にしたことはある。それが当該業者のものだった可能性は0とは言えない。ゴルゴ13のように細心の注意をはらってもこんな有様である。
 食品だけではない。黄砂、PM2.5、海洋汚染、海洋侵略、どれをとっても、彼の国からやってくるものは、災厄ばかりである。

 今朝のニュース。日中経済協会の訪中団が、支那共産党李源潮国家副主席と会談したという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130322-00000506-san-bus_all
 経済、利益、儲け、銭金を考えれば、巨大な市場をもつ支那中国との関係性は重要に見える。しかし、事例をいちいち挙げていけば、彼の体制と付き合っていくために妥協を重ねることは、後の世代に大きな禍根を残すことになる。
 江戸期、日本は鎖国をしてきた。それでも、国内では元禄や化政といった景気のいい時期を持つことができた。現代において、なにも全方位で鎖国する必要はない。せいぜい支那一国と鎖国すれば事足りる。当然のことながら、今、軸足を支那中国においている以上、当面の混乱は避けられないだろう。不利益も出るだろう。でも、日本人は必ずや支那中国なしの経済を立て直すことができると考える。

 災厄ばかりを窓から投げ入れる隣人が変わるまで彼の国と鎖国をしよう。