行く人来る人

文藝春秋』の12月号がおもしろい。ギャグだとしたら編集者の笑いのセンスはいかばかりであろうか。

 まずは前東京都知事石原慎太郎さんの談話である。グラビア、巻頭言に続く記事なので扱いは重い。
「不退転の決意 国を変え、日本人を変える」
 と題した文章には石原さんの怒りや悲しみがにじんでいる。怒りはこの国を支配している官僚に対してだ。
《日本の官僚は優秀だと言われてきましたが、今では実際はそうではない。彼らには発想力がない。物事を多角的に見ることができない。》
《私がかつて閣僚を務めている時に、ある次官は「私たちの特性はコンティニュイティ(継続性)とコンシステンシィ(一貫性)なのです」と言ったが、これほど変化の多い時代に、それではとても通用しません。》
《地方が実態に即した改革をなそうとしても、「前例」を楯に足を引っ張るのが関の山だ。》
 書いていて限がない。このあたりで止めておくが、石原さんの談話は愚かな官僚への批判で満ちている。それが一々納得できるものばかりなのである。
 もう一つだけ引く。第1章の末尾の言葉だ。
《役人たちがお手盛りで税金を使い続けるシステムを改めなければ、増税をしてもすぐに彼らに食いつぶされる危険があるます。》
 手塚治虫は、幕末の徳川幕府を「陽だまりの樹」に例えた。大きく太り天まで伸びた樹は見た目には立派に見える。しかし、樹の幹はシロアリやキクイムシに食い荒らされいつ倒れるかわからない。そしてその樹を安政地震で、象徴的に倒して見せた。それと石原さんの言が重なったのである。
 ええい、もう一つ引かせてくだされ。
《かつて司馬遼太郎さんがよく言っていた言葉を思い出す。
「この国は一向にかわらんなぁ。明治維新徳川幕府が倒れ、太政官制度が始まり、殿様に代わって政府の派遣した知事が地方を仕切ってきた中央集権体制のままだよ」
 言われてみれば、その通り。武士に代わり、日本を支配したのは、中央も地方も、役人だった。今だって全国知事会の顔ぶれをみれば、七割以上が中央官僚出身です。これをあらためるには、明治維新以来の大回転が必要になります。それが「日本維新」です。》
 そしてこう結論づける。
《その目的は、官僚主導の硬直した日本の支配構造を壊していくことです。》
 引用ばかりで文章を構成するのは邪道ですが、『文藝春秋』を読まれない方も多いのであえて引きまくりますが、ここが肝!
 日本は明治以来、官僚主導で国をつくってきた。ときにはそれが内務官僚であったり、軍官僚であったり、経済官僚であったりしただけで、その根本はなんら変わっていない。ときに政治家の勢いがある時には、目立たないように縮こまっているが、政治家の力が衰えれば、表に出てきて国政を壟断する。それが官僚という種族なのである。それは4000年前の支那の頃から同じことが繰り返されてきた。
「官僚支配の打破」
 これが、老骨にムチを打って最後のご奉公に出る石原さんの真意である。国士と言っていい。

 この石原談話に続く記事が、これが冒頭の笑いにつながる。なななんと、「森喜朗 引退前にすべてを語ろう」という森喜朗へのインタビュー記事なのである。ワシャは、この人物を現役の政治家の中でもっとも害悪だと思っている。だから、石原さんは「さん」をつけ敬意を表すが、この男は呼び捨てにさせてもらいたい。
 森はインタビューに答えて滔々と語る。ワシャはその部分を風呂で読んだのだが、湯船をたたいて大笑いをしてしまった。なにしろ、この人の考えは「年功序列」で染め上げられていて、そのことを楯に他者、例えば安倍晋三氏を批判する。それは多分に自分が年功序列の古いヒエラルキーの中でしか評価されなかった反動でしかない。基準が己しかないからこんなことを平気で言う。
《雑巾がけなどの苦労が足りないまま、総理になってしまったことが結果的によくない結果を招いたと思うんです。》
 下積みを経験しなければリーダーが務まらないというなら、ポッと出てくる英雄・豪傑・賢者の力量を発揮する場はあるまい。この男の言っていることは、明治維新の際に、彗星のように現れた天才大村益次郎を妬んだ三流志士の薩摩藩海江田信義の言と同様なのである。人の力量を客観的に判断することができない、要は「愚者」ということ。
 愚者の発言がおもしろいのでもう少し引く。安倍総理誕生前夜のことをこう語っている。
《人生の経験からみて阿部君の先輩である福田康夫さんのほうが適任でした。》
 後輩は「君」、年長者には「さん」、森は分かりやすい。福田首相を実現するために、かなり安部さんを攻めたようだが、安倍さんの意志は変わらず、小泉さんのバックアップもあり首相になる。そうなるととこいつは裏に回っていろいろな妨害工作をした。さすがに海江田のように相手を暗殺はしなかったが、その手法がとれる時代背景ならば、森は躊躇せずそうしていただろう。安倍さんが病を悪化させたのも、森の暗躍が積み重なったからとも言える。それほど党長老として、党執行部に圧力を掛け続けた。
 今回の自民党総裁選でもそうだ。アンチ安倍にまわった言い訳をこう言っている。
《まず、町村信孝さんが出馬されたことが大きかったんです。阿部君より年上ですし、当選回数も多い。》
 ここでも年齢である。「若い者は順番を待って発言しろ!」とこの男は言っている。アホか。
 谷垣降ろしについてもこう言う。
《実はこの二年間、青木幹雄さん、古賀さん、伊吹文明さん、私を含めた四人そろって、谷垣さんを守るためにずっと相談していたんです。でも、谷垣さんは派閥の長である古賀さんの言うことにほとんど耳を貸しませんでした。》
 ここでも年長者の言うことを聴け!という論理がまかり通る。
 言うことをきかない安倍さんの悪口、自派閥の町村さんや阿部さんを支持せず、茶坊主石原伸晃さんを推した言い訳、最後は、やはり自分たちの言うことを聴かない石原慎太郎さんへのイヤミに終始した談話は、国を憂い前に進もうとする国士との違いを際立たせている。
 前回の衆議院議員選挙で、森がはからずも挙げた人物たちが軒並み引退していたら、自民党の傷口はここまで拡がらなかっただろう。今の政局の混迷を招いた主犯は、あるいは森たち自民党の長老連だと思っている。
 そういった観点から、石原談話と森呆話の対比読みはとてもおもしろかった。これを並べた編集センスはお見事と言うしかない。