地方の人材払底

 コラムニストの勝谷誠彦さんが香川県知事選挙の結果に違和感を抱いている。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDE28005_R30C14A8905M00/
 確かに投票率33.6%はないわなぁ。3分の2の人がそっぽを向いている。自民・公明・社民相乗りで、共産党が相手なら、選挙をするまでもないが、そもそも現職に対して共産党しか候補を擁立できないところが、地方の政治の薄あまさであろう。東大法学部卒業などという偏差値秀才しか知事にできないとは、香川県には、それほど人材がいないのか。
 アホのワルシャワが、ひがんで言っているのではないですぞ。実際に何人もの東大法学部卒業という肩書をもった人に会ってきたし、偏差値の極めて高い秀才は史上にも何人も存在している。だが、どうであろう。その中にまともな人は5%も存在しなかった。己をエリートだと確信している奴、視野の狭い輩、世間を知らない徒、挫折を噛みしめたことのない類、そして責任をとらない僚がいかに多いことか。
 倉山満『負けるはずがなかった!大東亜戦争』(アスペクト)から引く。
《阿部・米内はしょせん官僚で、政治家的センスはありませんでした。官僚に政治をやらせてはいけません。松岡がかわいそうだったのは、彼は外れ官僚なので政治家的センスを持ってしまったことです。》
 阿部・米内というのは、第36、37代の総理大臣で、どちらも当時トップの秀才で軍官僚。松岡というのは、国際連盟で総会会場から退場した首席全権である。
 なにを言いたいかというと「官僚に政治をやらせてはいけない」ということ。自分のことを偉いと思わず、視野が広く、世間をよく知っていて、挫折をなんども味わい、責任を全うする漢(おとこ)こそが政(まつりごと)を治めるべし。そういうことなのである。
 多くの府県知事が官僚の天下り先のようになっているが、これだからこそ地方の力が殺がれていると言っても過言ではない。おそらく明治維新も、東大法学部の卒業生が中核をなしていたたら、日本は欧米の植民地になっていたわさ
 3分の1の投票率、これはゆゆしき問題である。庶民には政治を動かす能力はない(あると思っているのは土着の保守オヤジとのサヨクとクレーマーだけ)。だからこそ、選ぶべき政治家には選択肢が欲しいと思うのである。