明治節

 昨日とうってかわり天候も定まっている。書庫の窓から小さく見える空も碧い。良き日である。文化の日の冒頭に道聴塗説をというのも芸がないので、日韓首脳会談の話はまた今度。
 今朝の朝日新聞である。これも受け売りか(笑)。
 三河版なので、ワシャの地域限定だと思うけど、こんなニュースが載っている。豊橋市二川町、ここは旧東海道の宿場町。ここにはすでに本陣とその隣に旅籠が修復されていて、江戸文化の香をふんだんに嗅ぐことができる。そこにまた「駒屋」という商家が復元されるという。こりゃ楽しみだ。二川宿本陣資料館を核として、おもしろいまちづくりが進んでいる。
 まちづくりには、ある程度の集中が必要なのである。ここに金をかける、という政治的判断が重要で、豊橋市でも、よく言えば「バランスよく」、悪く言えば「ばらまき行政」が幅を利かせているはずだが、こういった力点に集中して、そこから全体へ波及させていくという発想をしているところは賢明だ。かけるところには惜しみなく予算をつぎ込む。それができるかどうかが町の良し悪しを決めていくことになる。
 おそらくこれからのまちづくりのキーワードは「文化」ということになる。そういう意味では二川はまだまだ潜在力を持っているし、楽しみなところである。

 さて、明治節である。戦前は明治天皇のお誕生日だった。そのままでいいのにねぇ。
 その明治天皇のエピソードをひとつ。鎌倉時代の末期、皇室は南朝北朝に分れてしまったことはご案内のとおりである。後醍醐天皇という風変わりな人物が登場したためで、そのあたりは『太平記』などがおもしろい。
 後醍醐南朝は四代で切れる。その後は北朝が皇統を嗣ぎ現在に至っている。つまり明治天皇は、後醍醐天皇の系ではなく北朝光厳天皇系ということなのである。しかし、明治維新の原動力になったのは水戸学だった。水戸学というのは、「人生楽ありゃ苦もあるさ〜」の水戸光圀南朝方の楠正成の墓碑をつくったことからも、南朝を正統とする思想である。そもそも明治政府はイデオロギー的矛盾を抱えての船出だった。このため明治36年につくられた教科書では、作ったのが官僚なんですね(笑)、両論併記というか「南朝北朝も大切なんだよ」と書いてしまった。これがバカの目に留まった。どの時代にも原理原則を唱えて混乱を呼ぶ人物がいる。ワシャの嫌いな山県有朋である。「明治維新を否定するんかい!」と喚きだしたから、さあ大変。これを明治天皇、さりげなく受け流してしまう。このあたりは司馬さんの文章を引く。
《この天皇明治維新南朝イデオロギーで成立したことをよく心得ていたらしく、「いうまでもない。南朝が、正統である」と、さりげなく断をくだした。》
 なんと、もののいい帝ではないか。ものの悪い維新の老志士をなんとか使いながら、必死に明治という時代をつくっていかれたことがうかがえる話である。