赤猫と拉致の共鳴

 ここ2カ月ばかり、頭を江戸に切り替えるための努力をしている。といっても大したことをしているわけではない。努めて江戸時代に関する文献を読んだり、江戸の匂いがするところに足を運んだりしているだけのことである。
 最近、読んだ本というか、昨日、いつもの書店によって買って本が、浅田次郎『赤猫異聞』(新潮社)だった。厳密に言えば、明治元年暮の江戸の火災が物語の発端になるので、江戸時代とは言えないのかもしれない。でもね、登場人物が鍵役同心、旗本の部屋住み、博徒、夜鷹の元締めとくりゃぁ江戸の匂いがプンプンするでしょ。だから夕方から一気に読んでしまった。江戸に浸るということに関して言えば楽しかった。仕掛けは、そんな展開になるのではないかと思っているとおりになった。
 展開は読めたが、主要な登場人物たちは、みな格好いい。著者は物語を歌舞伎の「勧進帳」に例えて、鍵役同心を武蔵坊弁慶であると言っている。そう言われれば、高級旗本の部屋住みや博徒は、さしずめ義経に富樫左衛門といったところか。これに「与話情浮名横櫛」のお富ばりの白魚のお仙が絡んでくるからたまりません。これがまたいい女なんですぞ。心地よい裏切りはないけれど、読み終わって爽やかになれる佳作だと思います。
 
 同時並行で、蓮池薫『拉致と決断』(新潮社)を読んでいた。こちらのほうは話題性ということもあって江戸とは直接関係ないけれど、目をとおしておきたかったのだ。ところがこの本、読み進めるほどに『赤猫異聞』とオーバーラップしてくる。もちろん内容は、幕末の江戸を舞台にした人間ドラマと、蓮池さんの経験してきた現代の北朝鮮の実情ということで、時代も場所も状況もまったく違うのだが、囚われた人と監視者の交流とか、賂が通用する腐敗した体制とか、自分の保身しか考えない上役とか……似ている。
 藤田東湖の言った「陽だまりの樹」を思い出した。
 長期の単一政権を続けるうちに、白アリやキクイムシが中にも外にもわいて、大樹を食い荒らしてしまった。その状況が酷似しているために、この2冊の本が共鳴したのだろう。