ある葬儀

 昨日、知人の葬儀があった。その人はワシャが会社に入って5年目に直属の係長として異動してきた。その後、1年でワシャが他の課に異動してしまったので上司と部下という関係は短かい。ただ、その後も飲み会などでご一緒する機会があり、ワシャのどこが気にいったのかわからないが何かにつけ引っ張ってくれた。何年か前に退職の送別会をしたが、その折にはお元気だったので、訃報を聞いて驚いている。
 その人は、さっぱりとした性格で部下の面倒見もよかった。ただ、ずけずけとものを言いすぎるので、上司からは煙たがられていたようだ。要領よく組織の中を泳ぐというタイプではなかったので、後半は同年の人間が本部長に昇格していくなかで閑職に追いやられ不遇だったと思う。それでも送別会では楽しそうに飲んでいたのを思い出す。そのあたりは整理をつけておられたのだろう。ご冥福を祈りたい。

 さて、その葬儀でのことである。もちろんワシャはご逝去をいたみ謹んで列席をさせていただいた。ところが、葬儀が始まって間もなくのこと。ご導師様の入場で、思わず「プッ」と吹き出してしまった。導師は白髪の少し太った50代後半といった坊さんだった。それはいい。導師に続いて入ってきた脇導師がとんでもなかった。年のころなら30前後だろう。浄土真宗だったので、僧は剃髪をしなくてもいい。導師も普通に七三に分けている。しかし、この脇導師、なにしろ髪の毛が多いのだ。爆発しているといっても過言ではない。頭のてっぺんから後頭部にかけて寝癖で大きく割れている。そして今どきの若者らしくあごひげをたくわえている。そこだけを見ればEXILEのMATSUに似ている。そうそう、MATSUがパーマをかけた髪をだらしなく伸ばして寝癖をつければ……まぁそんな感じだわさ。言い方を変えれば、寝起きに近所のコンビニに行っちまいました、という雰囲気だ。どちらにしろ粛然としなければならない葬儀の場に出てくる状態ではない。脇導師と言えば、式の主宰者を補助する大役ではないか。いくらなんでも参列者を笑わせてどうする。これまで出た葬儀・法要でもっともだらしのない僧侶だった。よほど「口笛を吹く寅次郎」に出てきたニセ納所坊主のほうが坊さんらしいわい。
 笑いをこらえながら、それでも式は始まった。読経が朗々と流れ……ない。導師と脇導師の読経が合わないのだ。脇導師の読経が読経ではなく、中学生の国語の音読のようになっている。
 日本の仏教が葬式仏教といわれて久しいが、それはそれで葬式自体に意義があるので、僧侶の存在を認めてきた。しかし、ここまで劣化するといくらなんでも拙かろう。
 それでも葬儀は終わった。
「ご導師退堂でございます。皆様合掌にてお見送りください」
 司会者がそう告げる。列席者は手を合わせ、頭を垂れて導師を見送った。なにをしていたのかはわからないが、脇導師が少し遅れて退場をする。その時にはみんな「おなおりください」の司会者の声を聴く前にさっさとなおってしまっていた。みんなワシャと同じことを思っていたのね。
 笑わせてもらったけれど、こんな現状では日本の葬式仏教も先がないかもしれない。