尾道から

 広島県南東部の瀬戸内沿岸の港町である。江戸時代に瀬戸内の海運の中継地として栄えた。今も当時の古い街並みが残る。山沿いに古い寺院が点在し、風光明媚なこともあって小説や映画の舞台になっている。
 なんで尾道のことから書き出したかというと、昨日、某所で映画監督の大林宣彦氏の講演会があったのだ。映画小僧だったワシャはもちろん監督の話を聴きに行きましたがな。講演は、今、力を失っている地域の商店街の再生をテーマにしたものだった。最新作「この空の花 長岡花火物語」の舞台となった長岡の話などを織り交ぜながら90分を静かな口調で語る。御年74歳、「こういった静かな老人になりたいものだなぁ」と思ったわけである。
 それでね、大林監督といえば、そりゃぁ「尾道三部作」でしょう。尾美よしのりと小林聡美がフレッシュな高校生を演じた『転校生』。大林監督と角川春樹がぞっこんだった原田知世主演の『時をかける少女』。そしてワシャがもっとも好きな『さびしんぼう』である。これらのドラマが港町尾道のあちこちで繰り広げられた。「三部作」とこの後に続く「新三部作」など一連の大林作品で、若い世代に尾道をアピールした功績は大きい。
 つまり尾道という瀬戸内の小さな港町のまちづくりや商店街の活性化に大林監督は図らずも(図ったかもしれないが)資する結果となった。
「これだな!」と思った。

 尾道は歴史のある町だ。見るべきところは数多ある。風景もいい。
《前の島を越して遠く薄雪を頂いた四国の山々が見られた。それから瀬戸海のいまだ名を知らぬ大小の島々、そういった広い景色が、彼にはいかにも珍しく愉快だった。》
『暗夜行路』の主人公、時任謙作が千光寺の掛茶屋から見た眺望である。その昔、『暗夜行路』は角川文庫で読んだ。その時のカバーが尾道瀬戸のスケッチだった。その絵がなんとも懐かしく「行きたいなぁ」と思ったものである。
 そして志賀直哉を尊敬してやまない映画監督の小津安二郎は『東京物語』の舞台に、やはり尾道を選んだ。尾道市街の東のはずれの丘にある古刹浄土寺である。ここでの義理の父(笠智衆)と紀子(原節子)のシーンはワシャの脳裏に焼き付いてしまった。

 尾道はもともと観光資源に恵まれたところである。しかし、近年、観光客を誘引しているものは、後付けのものが多いと思う。時任謙作に思いを馳せて、千光寺から尾道瀬戸を見下ろす。紀子の気持ちになって浄土寺から市街地を眺める。尾美としのり小林聡美になって御袖天満宮の石段で遊ぶのもよかろう。

 今、各地の中心市街地の商店街が滅びつつある。今回、大林監督を招聘したのも、活性化のための一助となればという地元商店主たちの祈りのようなものだろう。
 残念ながら500人は入れるかというホールには半分も人が入っていなかった。そして危機感を持たなければいけない聴講者たちは居眠りをする不心得者も多かった。
 大林監督の語りは静かである。そのために眠りを誘われたのだと思うが、わずか90分の話ではないか。この危機感、緊張感のなさが地方の商店街を壊滅させているのだ。
 大林監督の語りはは静かだった。だが、その内容は寸鉄人を刺すような大切なことばかりで、事実、ワシャも大きなヒントをいただいたと思っている。
 ないものは創ればいい。なにもないんだからキャンバスは真っ白なのだ。やりたい放題、描きたい放題じゃないか。
「古いものと新しいもの、この折り合いをどうつけていくか、これが今後の商店街の復活の鍵を握っていると思います」
 大林監督は最後にそう締めくくった。