1.17だから災害の話

 物理学者の寺田寅彦がこんな文章を書いている。
《……東北日本の太平洋岸に津波が襲来して、沿岸の小都市村落を片端から薙ぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。》と書き出し、こう続ける。
《こんなに度々繰返される自然現象ならば、当該地方の住民は、とうの昔に何かしら相当な対策を考えてこれに備え、災害を未然に防ぐことが出来ていてもよさそうに思われる。》
 しかし、それがそうならなかった。
 三陸から福島の浜通りは、30数年に1度くらいの頻度で津波被害を受けている。これが毎年襲来するのであれば、津波は天変地異ではなくなる。毎年、日本を襲う台風を天変地異とは言わないでしょ。
 これならば、人間は対処の方法を考えて危険を忌避しようと努力する。寅彦はおもしろい例を挙げて、分かりやすく説明している。
《風雪というものを知らない国があったとする。年中気温が摂氏二十五度を下がることがなかったとする。それがおおよそ百年に一遍くらいちょっとした吹雪があったとすると、それはその国には非常な天災であって、この災害はおそらく我邦の津波に劣らぬものとなるであろう。》
 要するに、喉元過ぎれば熱さを忘れる、ということなのだ。当初は、津波に恐れおののいていた人々も10年、20年、何事もない摂氏25度の穏やかな日々が続けば、使い勝手のいい平地に移り住んでいくことになる。また、30数年経てば、津波が襲ってくる。やはり海岸沿いの平地で大きな被害が出るということになる。
 これを回避するには、継続的な地震教育、津波教育が必要だと、寅彦は言っている。そして、過去に学べと言っている。
《二千年の歴史によって代表された経験的基礎を無視して他所から借り集めた風土に合わぬ材料で建てた仮小屋のような哲学などはよくよく吟味しないと甚だ危ない》
 これなどは、災害のみでなく、政治や経済など日本社会全般にわたる警句であろう。